浄土宗新聞

日々のおつとめ―浄土宗日常勤行式 第12回 「摂益文・念仏一会」

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おつとめの要「摂益文・念仏一会」

光明徧照
十方世界
念仏衆生
摂取不捨

意訳
阿弥陀さまの光明は、くまなく全ての世界を照らし、念仏する人々を必ず救いとってくださいます。

念仏一会
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
・・・・・・
南無阿弥陀仏

意訳
だんだんと高まってきた阿弥陀さまへの想いを胸に、数にとらわれず、一心に繰り返しおとなえしましょう。
※念仏一会のとなえ方は、こちらをお読みください

【資料】毎日のおつとめ


「摂益文」 は、 阿弥陀さまの光明があらゆる世界をくまなく照らし、念仏する人々を必ず救いとる、ということをあきらかにしています。法然上人はその威光を一首の和歌に託しています。

月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ


そう、浄土宗宗歌の「月かげ」です。その意味するところを「摂益文」と照らし合わせて説明します。
前半の「月かげの〜なけれども」は、分け隔てなく夜の闇を皓皓(こうこう)と照らしている月の光(月かげ)を「光明」、つまり、阿弥陀さまの救いの光と重ね、気づくと気づかないとに関わらず、また、お念仏をとなえる人も、そうでない人も、常に照らしている、と表しています。
そして後半の「ながむる人の心にぞすむ」は、その月を仰ぐからこそ、照らされていることにも、その明るさにも気がつく、つまりは、お念仏をとなえることによって、阿弥陀さまの光に気づき、極楽へ迎えられることへの思いがより深まる、ということなのです。

納得するまで


さて、いよいよ「日常勤行式」のクライマックスとも言える「念仏一会」です。
法然上人は主著『選択本願念仏集』の中で、「阿弥陀仏の名号の中にはあらゆる功徳がおさまっている。家に例えていえば、阿弥陀仏は家そのものである。家と言った場合は、柱・梁・棟などを含むが、柱や梁という言葉に家は含まれない」と、名号に含まれる種々の功徳を讃えています。
この「念仏一会」は、 「南無阿弥陀仏」を一心におとなえしますが、 「十念」のようにとくに回数の決まりを設けていません。様々なお経の本にも「繰り返しとなえましょう」 「なるべく多くとなえましょう」という説明が多いかと思います。
お念仏の数については、法然上人が「上を臨んでは一生涯、下を見れば、お念仏の素晴らしさを聞いて、10回、1回のうちに臨終を迎えてしまう場合まで」としています。はじめのうちは、数、時間を決めてという方法もありますが、基本は自分の気持ちが納得するまで繰り返しおとなえする、ということです。
いずれにせよ、これまでの偈文、経典の教えのままに、お念仏をとなえれば間違いなく往生できる、という確信を持ち、 「南無」 という帰依の心、つまり、お願いします、お任せします、という心でとなえましょう。

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