浄土宗新聞

日々のおつとめ―浄土宗日常勤行式 第14回 「総願偈」

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共に生きる 「総願偈」

衆生無辺誓願度 (しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無辺誓願断 (ぼんのうむへんせいがんだん)
法門無尽誓願知 (ほうもんむじんせいがんち)
無上菩提誓願証 (むじょうぼだいせいがんしょう)
自他法界同利益 (じたほうかいどうりやく)
共生極楽成仏道 (ぐしょうごくらくじょうぶつどう)

意訳
衆生は数えようもなく多く、またその煩悩も限りがありませんが、煩悩を断ち、すべての人をさとりの彼岸に到達させることを誓います。数え尽くせないほどある仏の教えを知り、理解し、さとりの道を体得すると誓います。私たちすべてが等しくご利益を得て、共に極楽に生まれ、仏道を完成させます。

【資料】毎日のおつとめ


この「総願偈」は六つの句で構成されますが、最初の四句は「四弘誓願」ともよばれ、あらゆる菩薩(さとりを求める修行者)に共通した願いを示しています。
それに恵心僧都源信作『往生要集』に説かれる二句を加えたのが「総願偈」です。
はじめの四句は菩薩としての基本的理念「上求菩提下化衆生」という、自らがさとりの境地に至ろうとするとともに、あらゆる人々を救おう、との意思表明です。
この四弘誓願は各偈文の最後の一字をとって、 「度断知証」という言葉で、菩薩としての四つの修行姿勢が示されています。そこに後の二句、生きているもの全て、自分も他者も等しく念仏の功徳を得て、共に極楽へ生まれて、仏道を完成させましょう、と続いています。

菩薩と聞いてイメージするのは、観音菩薩地蔵菩薩でしょうか。また、そうした菩薩の修行と聞くと、私にはとてもできない、と思われる方も多いでしょう。
しかし大乗仏教(日本の宗派は全て)では、仏道を志した人々を菩薩と呼びます。いうなれば、仏さまの教えを学ぼうとする私たちは菩薩の卵と言い換えることもできます。そんな私たちの度断知証はどんなことから始めればよいのでしょうか。「度」は「渡」と同じ意味を持ちますので、人々を迷いの世界から導くことを意味します。他の人にお念仏の尊さを教えて一緒にとなえる機会をもてば、それは「度」といえるでしょう。
「断」は煩悩を断つこと。
人の悩みを聞いて、力になってあげることもいいでしょう。 「知」は八万四千といわれるほどの仏教の教えを学ぶことですが、学校、仕事など生活の中でも学ぶべき事柄はたくさんあります。まずは身近なことから一つひとつしっかりと。「証」は「(さとりの境地を)実現する」という意味ですが、〝何事も最後までやりきる〞という強い信念を日頃からもつことは、日々の小さな変化につながることでしょう。
これらの実践は、結果として自分のみならず地域や社会全体への変化にもつながるのではないでしょうか。そこで注目したいのが後の二句に説かれる「共生」です。これは、念仏の功徳でみな共々に極楽へ往生しましょう、という行いと願いを強調しています。

私たちは一人では生きていけません。知る、知らずを別として必ず様々な人との縁があります。ですから、自分一人を良しとするのではなく、他の人をも共に極楽へ導こうとすることが共生になります。つながりの中にある私たちの命。共に慈しみ合い、生きる心を日々のおつとめの中で育んでいきましょう。

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