心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第2回
浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。
第1章
道綽禅師聖道浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文①
|| 味わい方
このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。
前回は、『選択集』の概要についてお伝えしました。いよいよ、第一章から順番にその内容に入ってまいります。
【篇目】
中国浄土教の祖である道綽禅師は、仏教の全ての教えを、厳しい修行を積み自らの力でさとりを開こうとする教え(聖道門)と、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し、そこでさとりを開くことを目指す教え(浄土門)との二種に分類され、その上で、聖道門をお捨てになり、まさに浄土門を信じ、たよりとする(帰依する)べきであるとお示しになりました。そのことを明らかにする章です。
【解説】
道綽禅師(562ー645)は、法然上人が中国における浄土教の祖とされる方のひとり。伝記によると禅師は、『涅槃経』というお経の研究をしていましたが、中国で初めてお念仏の教えを広められた曇鸞大師(476ー542)を讃える内容の石碑を見たことがきっかけで、浄土教を信仰するようになり、一日七万遍以上お念仏をとなえるほどの念仏行者となりました。そして、玄中寺というお寺を中心にお念仏の実践を広め、その周辺地域の人々はみな、お念仏をとなえるようになったと伝えられます。
この章で法然上人は、道綽禅師が浄土への往生を勧めるために書かれた『安楽集』という著作の中で、「問い」と「答え」の形式で聖道門と浄土門について書かれた箇所を引用されています。
【引文】
〈問う〉
すべての命ある者(衆生)はみな、さとりを開いて仏となる可能性(仏性)を具えている。そして、私たちは誰しも、遙かな過去世から現世に至るまで、生まれ変わり死に変わり(輪廻)を繰り返してきた。その途中では、間違いなく多くの仏に出会い、教えを受けてきたはずだ。それにもかかわらず、どうしてこの私は、今だに迷いと苦しみに覆われた、この輪廻の世界に留まったまま、まるで炎に包まれた家のような境遇を離れ出ることができないのだろうか。
〈答える〉
すべての衆生をさとりの境地へ導くことを使命とする、大乗仏教という尊い教えに照らし合わせてみると、その理由はまさに、次に示す二種の勝れた教えに出会っていながらも、それによって輪廻の世界を経巡る原因を取り払おうとしなかったからと考えられる。それゆえ、苦しみに覆われた世界を離れ出ることができないでいるのである。
その〝二種の勝れた教え〟とは何だろうか。一つ目は聖道門であり、二つ目は浄土門である。
聖道門の教えは、今の時代の私たちには到底、体得しがたいものだ。それには二つの理由がある。
一つには、釈尊が入滅されてから遙かな時が過ぎ去ってしまい、その教えがなかば失われた時代となったからであり(時代観)、二つには、その教えは実に奥深いものであるけれども、私たちの理解力はそれに遠く及ばず、取るに足らない小さな器に過ぎないからである(人間観)。
こうしたことから、『大集経』「月蔵分」というお経の中で釈尊は、「私の亡きあと、長い時間が経過して私の説いた教えが廃れ、正しく修行する者がいない〈末法〉という時代を迎えたならば、数え切れないほど多くの衆生が、さとりを目指そうと修行に取り組んだとしても、ただの一人でさえ、さとりを開くことはないであろう」と示されている。
世はまさに、その末法の時代である。混沌として、人々の煩悩が増すなど五つの汚れや濁りが蔓延する悪世となっている。したがって、このような時代と人間には、聖道門でさとることは難しい。唯一、浄土門の教えだけが、私たちにかなう教えなのである。
だからこそ浄土三部経の一つ『無量寿経』において、阿弥陀仏がまだ菩薩として修行されていた時に「たとえ生涯を通じて悪事を犯し続けた衆生であっても、その者が命を閉じようとする時、十回続けて〝南無阿弥陀仏〟と、わが名をとなえたならば、必ずや、わが極楽浄土に迎えよう。もしこのことが叶わないならば、私は決して仏とならない」と、私たちを救うための誓いをたてられたのである。
【解説】
法然上人が引文の冒頭に据えられた「全ての衆生には仏性がある」との『安楽集』の一文。これは道綽禅師が学んだ『涅槃経』に説かれることであり、禅師の原点を彷彿とさせます。仏教徒にとってその仏性を開花させ、仏となることは最終目標ですが、『安楽集』に述べられていたようにこの世の中でそれを達成するのは、実に困難なこと。阿弥陀さまの極楽浄土に往生してからさとりを目指す浄土門を選ぶ以外、仏となる道は固く閉ざされているのです。
この道綽禅師の熱い想いは、法然上人の心と強く共鳴しました。まさにこの一文は、『選択集』全十六章の始まりを宣言するのにふさわしいものといえるのです。
次回は、法然上人の解釈(私釈)にもふれていきます。
Q&A 教えて林田先生
さとりを開くことができないといわれる「末法」とはどんな時代ですか?
仏教の時代観の一つに、お釈迦さまが亡くなった後の時代を正法・像法・末法の三つに分ける「三時思想」というものがあります。正法はお釈迦さまが亡くなった直後の500年間(千年とも)をいい、その教え(教)・修行者(行)・さとりを開く者(証)がある時代。像法は正法後の千年間(500年とも)で、教・行のみが残る時代。そして今回出てきた「末法」は像法後の1万年間をいい、教のみが残る時代。日本では、永承7(1052)年からが末法と考えられ、浄土教が盛んとなったのです。
- 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
- 大正大学仏教学部教授
- 慶岸寺(神奈川県)住職
- 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。
「法然さまの『選択集』」は、『浄土宗新聞』紙版で連載中。
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