浄土宗新聞

浄土宗開宗850年記念連載 法然上人の生き方に学ぶ

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第1回 「死」の考え方を学ぶ ——法然上人の生きた時代

浄土宗を開かれた法然上人の一生は平坦なものではありませんでした。多くの苦難に直面されながらもお念仏の教えに出会われ、ともに歩まれた中から学ぶことができる〈知恵〉について、京都文教大学教授の平岡聡先生にお話しいただきます。

なくならない「死」という問題

人間の思考は、生まれた時代や地域に大きく左右されます。書籍やテレビなどでも、歴史的背景から偉人を分析し、成功の理由を探るということが行われています。
では、浄土宗を開かれた法然上人はどうだったでしょう。上人の伝記をひも解くと、上人は、平安時代の末期、1133年の日本の美作(現在の岡山県)に生を受けたと記されています。
仏教には、お釈迦さまが亡くなって以降、だんだん時代は悪くなるという歴史観があり、法然上人が生きた時代は、最終段階の「末法」にあたるとされました。折しも当時の日本では飢饉・疫病・戦乱が相次ぎ、人々は「末法」にリアリティを感じ、「世も末だ!」という絶望を抱えて、「死」と隣り合わせで生きていました。この末法の世に生を受けたことは、法然上人の思想形成に決定的な影響を与えることになります。
「死」は他人事ではありません。自分自身のことです。現代日本に生きる私たちにとって「死」を自分のこととしてイメージする機会が少ないのは事実ですが、「死」が無くなることはありませんし、突然目の前にやってくることさえあります。それが「死」というものです。

「死」を考え続けた法然上人の半生

法然上人は9歳のとき、夜襲によって父親を亡くし、自身の命も危機に晒されます。ひん死の状態にある父親から、病や老い、そして死に悩み苦しむ迷いの世界から離れる仏教の道を求めるよう遺言されます。その言葉に従い、上人は43歳までの20年以上にわたって、いつ死ぬかもわからない荒廃した世の中でも、経典を読み漁り、高僧と呼ばれた人々に教えを請い、さまざまな仏教の教えを学び、自身を含めた末法の人々に適した教えをじっくりと見極めました。
そして探し求めた末の結晶ともいえるのが、お念仏をとなえこの世での「死」の先にある極楽浄土へと往く教えなのです。今般のコロナ禍を機に、性急に安易な答えを出すのではなく、答えの出ない状況に耐える能力「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉が見直されるようになりました。「安易な答えを出す能力」を意味する「ポジティブ・ケイパビリティ(肯定的能力)」に対するもので、法然上人はまさにこの「ネガティブ・ケイパビリティ」に長けた人物といえるのではないでしょうか。

「死」を自分ごととして考える

ここ数年で、「死」を身近に意識して生活する人が増えたように思えます。
その原因の一つが、コロナ禍。ニュースで、連日コロナウイルスによる死者が報道され、親戚縁者を亡くされた方もおられるでしょう。また他国のことではありますが、多くの命が犠牲になっているウクライナでの戦争のニュースに心を痛めている方も多いでしょう。
本来「死」は〝私の〟人生の一大事ですから、安易に考えられるものではありません。自分の死はもちろん、大切な人の死をどう受容するかも重大です。しかし、まったく考えもしていなかった「死」がやってきたときに、じっくりと考えろといっても不可能といえるでしょう。
ですから、私たちも「死」を他人事とするのではなく、法然上人のように自分自身のことだと捉えることが大切なのではないでしょうか。

●平岡 聡(ひらおか さとし)
●昭和35年京都市生まれ。京都文教大学教授。博士(文学)。専門は仏教学。著書に『浄土思想入門』(角川選書)、『ブッダと法然』(新潮新書)ほか多数。兵庫県朝来市・法樹寺所属。

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