浄土宗開宗850年 受け継がれるお念仏の灯
令和6年(2024)は、法然上人が浄土宗を開かれてから850年目にあたります。「南無阿弥陀仏」ととなえれば、極楽浄土へ往生することができるとの浄土宗の教えは、上人が生涯をかけて広められたものです。上人がこの教えを広めるきっかけには、ある高僧との出会いがありました。
『拾遺古徳伝絵(しゅういことくでんえ)(常福寺(じょうふくじ)本)』に描かれる、善導大師(写真中央)と法然上人(写真右)の夢の中での対面。「二祖対面」とも呼ばれ、善導大師の半身が金色なのは、大師が阿弥陀仏の化身であることを表しているとされる
善導から法然 そして私たちへ
法然上人は、長承2年(1133)に美作国(みまさかのくに)(現在の岡山県)に生まれ、比叡山(現在の滋賀県と京都府の境)に登り、自身の煩悩を断ち切る方法を求め、修行と勉学に励まれました。法然上人は「智慧第一(ちえだいいち)」と称されるほどでしたが、煩悩を断ち切れない我が身を嘆いて悩まれました。
高僧を訪ね歩くも納得のいく教えに出会えなかった法然上人は、比叡山の多くの経典が収められた経蔵(現在の青龍寺報恩蔵(せいりゅうじほうおんぞう))に籠り、「一切経(すべての経典)」を5回も読み返しました。
そしてついに、中国唐代の高僧・善導大師(が著した『観無量寿経疏』にある「極楽浄土を心から願い、ひたすらお念仏をとなえれば誰でも往生できる。阿弥陀さまが自ら誓われたのだから、間違いない」(趣意)との一節に出会われます。
善導大師は、法然上人からさかのぼること500年も昔、異なる国に生きた僧侶ですが、そこに記された言葉は、まさに上人の求めるものでした。上人はこの一節との出会いで、お念仏こそ煩悩を断ち切れない自身を含めたすべての人が救われる教えであると確信して浄土宗を開かれたのです。ときに承安(じょう あん)5年(1175)春、法然上人43歳のことです。
のちに「開宗の文」と呼ばれるこの一節に出会った直後、法然上人は夢を見ました。夢には善導大師が現れ、「あなたはお念仏の教えを広めようとしている。それが尊いのであなたの前に現れたのだ」と上人を励ましたとされます。この対面が教えを広める後押しとなったのでしょう。上人はその後、生涯をかけてお念仏の布教を続けました。
善導大師から法然上人へと相伝されたお念仏の教えの灯(ともしび)。その輝きは850年という月日を経てなお失われることなく、現代の私たちへと受け継がれてきたのです。
本年はその歴史や想いを伝えるさまざまな行事が行われます。ぜひご参加いただき、その灯のありがたさを感じてください。