浄土宗新聞

沈みゆく夕日に浄土を想う 秋彼岸

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夕焼けの空 ©撮るねっと / PIXTA(ピクスタ)
夕焼けの空 ©撮るねっと / PIXTA(ピクスタ)

日中はまだ暑さが残り、夏のように感じられる日もありますが、朝夕は大分しのぎやすくなってきました。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われてきたように、秋彼岸を迎える頃には、日増しに秋の気配を感じられるようになります。
秋のお彼岸の期間は、秋分の日を中心とした1週間(今年は9月20日から26日)で、この間多くの寺院では彼岸法要が営まれ、仏さまやお墓をお参りする人でにぎわいます。
「彼岸」とは、古代インドで使われたサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」に由来する言葉で「向こう岸に渡る」という意味を持ちます。これを漢訳すると「到彼岸」となり、私たちがいる苦しみの多い迷いの世界(此岸)から仏さまのいるさとりの世界(彼岸)に至ることをいいます。
浄土宗では、この彼岸を此岸に対する極楽浄土を指して用いることもあります。極楽浄土は、悩みや苦しみから離れた場所、まさに私たちの世界と相対する世界といえるでしょう。
さらに、彼岸はさとりを目指す仏道修行の期間ともされています。
法然上人が師と仰ぐ中国・唐時代の僧、善導大師(613-681)は著書の『観無量寿経疏』で、「春分と秋分の日には、太陽が真東から出て真西に沈む。極楽浄土は西の方角にあるので、この両日は、沈む夕日を観てその彼方にある阿弥陀仏のいらっしゃる極楽浄土に想いを馳せる仏道修行・日想観に適した日である」と記しています。
法然上人は文治元年(1185)、日想観の名所と呼ばれる四天王寺(和宗総本山・大阪市天王寺区)にほど近い地で日想観をしたとされ、その時に次のような和歌を詠まれたと伝わっています。

あみだ仏(ぶ)と
いふよりほかはつのくにの
なにはのことも
あしかりぬべし
(この難波の浦は葦の名所であるというが、それにつけて思うのは、往生極楽のためには、ただ念仏をとなえるだけでいいのであって、それ以外の行は、その名物の“葦を刈る”ではないが、悪しきことであろう)

「極楽浄土に往生することを願いお念仏をする」
簡単なようですが、私たちが法然上人のように常日頃からその想いを持ち続けるのは難しいことでしょう。
そこでお彼岸の期間には、極楽浄土のある西の方角に沈む夕日を眺め、往生への想いを新たにしてみてはどうでしょうか。きっと日々お念仏に励む良いきっかけになるはずです。