浄土宗新聞

浄土門主 総本山知恩院門跡 伊藤唯眞猊下 年頭ご挨拶

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魚くふもの往生をせんには鵜ぞせんずる

人々が後世(ごせ)の救いについて話しあっているうちに、往生と魚食(うおじき)の是非が問題となり、ある人が「魚を食べない者が極楽へ往生できる」と主張すれば、別の人は逆に「魚を食べる者こそ往生ができる」と反論しました。

これを聞いた法然上人は、「魚を食べる者が往生できるのなら、鵜(う)がするだろう。魚を食べない者が往生するのなら、猿が往生するだろう。魚を食べるか、食べないかによって往生が決まるのではなく、ただ念仏を申す者こそが往生するのだ、と私、源空(法然)は心得ている」と仰せになりました。

人びとは、それぞれの後世のこと、すなわち往生の得否にとっては何が大事かという大前提を忘れかけていました。上人は「(魚を)くふにもよらず、くはぬにもよらず」と、人びとを問題の核心へと誘われたのであります。そして往生の得否は魚食によってではなく、念仏をとなえるかどうかにあると明示され、ここで人びとは気づかされました。

上人が挙げられた鵜や猿の例示は機知に富み、諧謔(かいぎゃく)的でありながら明快で、核心を衝いた思考の転換をもとめられるもので、上人の指摘によって人びとは納得し、往生に魚食は関係なく、念仏申すことの大事さを知ることができたのです。

新たな一年、皆さまにおかれましてもこのことを胸に刻み、日々を過ごされますことを祈念いたします。

浄土門主総本山知恩院門跡 伊藤唯眞猊下
浄土門主総本山知恩院門跡
伊藤唯眞猊下(いとうゆいしんげいか)