浄土宗新聞

大本山ご法主台下 新年ご法話

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浄土宗には由緒沿革により全国に七つの大本山があります。その住職を法主(ほっす)といい、「ご法主台下(だいか)」とお呼びしています。新年にあたり、各大本山のご法主台下から読者の皆さまに一口法話を頂戴いたしました。

大本山 増上寺法主 小澤憲珠(おざわけんじゅ)台下

『一紙小消息』の冒頭に「末代の衆生を往生極楽の機にあててみるに…」という文句があります。末代の衆生とは、お釈迦さま亡きあと遥かに時代が下った私たちという意味ですが、来る年、来る年、年が改まっても私たちは末代の衆生であり続けます。浄土宗開宗850年を間近にひかえ、宗祖法然上人の開宗の意図をもう一度かみしめる必要があります。私たちは西方に確かに存在する阿弥陀さまの極楽浄土を、ひたすらに信じて願求(がんぐ)することを大切にしたいと思います。

大本山 増上寺法主 小澤憲珠台下

大本山 金戒光明寺法主 藤本淨彦(ふじもとじょうげん)台下

現今、人類は〝煩悩をコントロールする術を忘れた煽る文化〟に翻弄され、グローバル化という風潮の中で漂うがごとき姿相(しそう)を曝け出しています。〝ヒト〟ではなく〝人・間〟の存在尊厳を忘却すべきではありません。仏暦2566年、法然上人浄土宗開宗849年の蓄積のなかで、煩悩に塗れながらも〝なむあみだぶつ〟の口称(くしょう)一声一声に託す〝心の置き所〟の教え、人間存在尊厳の究極たる〝往生浄土〟へと確かに導かれるお念仏に出会い得たことを、共に悦びたいものです。
〝煽る文化〟への無反省な今現在に、〝心の置き所を与える鎮めの文化〟をこそ種蒔き育てる努力を致しましょう。

大本山 金戒光明寺法主 藤本淨彦台下

大本山 百萬遍知恩寺法主 福原隆善(ふくはらりゅうぜん)台下

法然上人は私どもを「ヒラ凡夫(ぼんぶ)」といわれます。しかも「凡夫の善人」と「罪悪の凡夫」があり、またそれぞれに速く理解できる「頓機(とんき)」とゆっくり理解する「漸機(ぜんき)」があり、さらに「寿命の長短」と「発心(ほっしん)の遅速」により、平生(へいぜい)から仏法に親しむ「平生の機」と臨終を迎えて仏縁を結ぶ「臨終(りんじゅう)の機」がからみあい、複雑な凡夫がいることになります。凡夫の側で特別な凡夫になる必要はなく、その身そのままで念仏すれば誰もが安穏(あんのん)に生きることができると説かれます。

大本山 百萬遍知恩寺法主 福原隆善台下

大本山 清浄華院法主 飯田実雄(いいだじつゆう)台下

『和顔愛語(わげんあいご)』は文字通り「和やかな顔とやさしい言葉」です。人に接するのに大事だとわかっていても実践するのは困難です。常になごやかな顔にするには練習がいるのです。毎朝、顔を洗う時に鏡を見てほほえんでみる。すると心なごやかになります。相手の言葉に反応してついきつく話してしまうこともあります。そんな時、心の中で「ありがとう」とつぶやいてみる。そうすると他人を責めることが少なくなるのではないでしょうか。和顔愛語の実践方法です。

大本山 清浄華院法主 飯田実雄台下

大本山 善導寺法主 阿川文正(あがわぶんしょう)台下

浄土宗の第二祖聖光(しょうこう)上人は『念仏三心要集(ねんぶつさんじんようしゅう)』に「念死念佛常途用心(ねんしねんぶつじょうとようじん)、已上(いじょう)、師の仰(おお)せ当(まさ)に意得(こころう)べし」と記され、また上人は「安心起行(あんじんきぎょう)の要(よう)は念死念佛にあり」(『四十八巻伝』四六)とも述べられました。安心(三心=さんじん)は阿弥陀仏の本願念仏を称すれば必ず往生できるという確信(心構え)、起行はその教えを実践する念仏行であります。私たち人間は、何時お迎えがあるとも知れない臨終を常に意識して、日々の念仏行に励む上での心構えとして、一年を送りたいと思います。

大本山 善導寺法主 阿川文正台下

大本山 光明寺法主 柴田哲彦(しばたてつげん)台下

浄土宗の高祖善導大師(こうそぜんどうだいし)は「人生(ひとい)けるとき精進ならずば、喩(たと)えば樹の根無きがごとし」と申され、人間にとって精進は不可欠の要件と教示されました。私たちにとっての精進とは宗祖法然上人が弥陀の本願を拠り所として開示された、本願口称(ほんがんくしょう)の念仏に励むことであります。新しい年を迎えた今こそ、心を新たにして日常の一部であった念仏から、念仏の中の日常へと転換し、聖俗一体となった精進へとランクアップさせ、心身共に充実の日々到来を願ってやまないものであります。

大本山 光明寺法主 柴田哲彦台下

大本山 善光寺大本願法主 鷹司誓玉(たかつかさせいぎょく)台下

新しい年を迎えまことにおめでとう存じます。善光寺ではおかげさまで昨年は無事に御開帳を終え、そしてまた11月からは、感染症流行のため長い間中止されておりました「お数珠頂戴(じゅずちょうだい)」も再開され、参道に跪くご信徒さまの姿を再び拝ませていただき、御仏とのご縁を結ばせていただける有り難さを深く感じております。人々の活動が本格化してまいりましたことはうれしいことではございます。しかし厳しい世情をもしっかりと踏まえ、浄土宗開宗850年を前にいたしまして、御仏の救いに一人でも多くご縁を結べますよう、私自身も宗歌の如く「心にすませ」るべく精進せねばと新年に改めて思う次第でございます。

大本山 善光寺大本願法主 鷹司誓玉台下