浄土宗新聞

自身の鬼を払い福を招く 節分

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「大しゃくし」は長さ2.5m、重さ30㎏もある。年に1 度、追儺式の時だけ使用される(写真提供:総本山知恩院)
「大しゃくし」は長さ2.5m、重さ30㎏もある。年に1 度、追儺式の時だけ使用される(写真提供:総本山知恩院)

「鬼は外~福は内~」2月3日の節分には、このような掛け声とともに一年の幸せを願い、豆をまく光景をよく見かけるでしょう。
「節分」と聞くと、豆まきをしたり、恵方巻を食べる″行事〟の名前と思う方もいらっしゃると思いますが、本来は季節の分かれ目のことをいい、現代ではとくに2月の立春の前日を節分と呼んでいます。
この日には、各地の寺社で追儺式という行事が営まれます。
追儺式は、邪気がはびこる日とされた旧暦の大晦日に、生活を脅かす怪物である鬼を追い払うことを目的に行われていました。
追儺とは、人を鬼に扮装させて、これを追い払うという行事で、もとは中国で行われていたものでした。
日本では、平安時代に宮中で営まれたことに端を発し、次第に年中行事として定着していきました。
その後、旧暦の立春が大晦日に近かったことや、立春も邪気がはびこる日とされていたことから、室町時代のころには、現在の節分の時期に行われるようになったとされます。
寺院での追儺式は、宗派を問わず行われ、浄土宗でも、本山をはじめとする寺院で営まれており、なかには、特徴的なものもあります。
その一つ、総本山知恩院(京都市東山区)で行われる追儺式は、年男が知恩院七不思議の一つ「大しゃくし」を持って諸堂を回り、豆をまくというものがあります。
しゃくしは物を「すくう」道具であることから、阿弥陀さまの「救い」を表しているとされ、この大きなしゃくしで人々を救い取るという願いが込められています。
仏教では、「鬼」を常に飢渇きに苦しむ亡者「餓鬼」と同一視することもあり、その餓鬼も救いとるとの思いから、「福は内」とだけ言い、「鬼は外」とは言わないそうです。
この餓鬼は、生前、嫉妬深かったり、物惜しみが強い人が生まれ変わった存在とされます。その餓鬼は私たちとも無縁の存在ではなく、私たちの心のなかにも、餓鬼(鬼)と同じように、自分の幸せに執着してしまう気持ちがあります。
節分は一年の幸せを願う行事であり、それを願うことは大切です。しかし、それが執着につながるとかえって苦しみとなってしまいます。邪気を払う節分の時期、私たち自身の心のなかにある〈鬼〉となってしまう欲望の気持ちを払う機会としたいものです。