浄土宗新聞

法然上人の遺徳を讃え 総本山、大本山で御忌大会 

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暖かな日差しが降り注ぐ4月。総本山知恩院をはじめ、大本山の増上寺・金戒光明寺・百萬遍知恩寺・清浄華院・善光寺大本願で法然上人の忌日法要である「御忌」が盛大に営まれた。

18日に知恩院で営まれた開白逮夜法要の様子
(写真提供:総本山知恩院)

「御忌」は本来、天皇や皇后、高僧などの忌日法要に用いる言葉だが、大永4 年(1524)、後柏原天皇が知恩院へ送った詔書をきっかけに、しだいに法然上人の忌日法要として定着。もとは、その忌日である1月25日ごろに修されていたが、明治時代に知恩院が4月に執り行ったのを契機に、五つの大本山でも同時期に営むようになった。
この中、知恩院(伊藤唯眞門跡=京都市)では18日、伊藤門跡を導師に、法然上人が祀られる御影堂で期間中最初の法要である開白逮夜法要を厳修。
翌19日から25日にかけ連日勤められた日中法要では、伊藤門跡から任命された唱導師(法要で儀式を主導する僧侶)が法然上人への報恩の志を述べた「諷誦文」を唱えた。
逮夜法要では、後柏原天皇から詔書とともに笏(木製の細い板状の道具)を贈られたことにちなみ、笏で拍子をとりながら念仏をとなえる「笏念仏」が行われ、堂内を埋めた多くの僧侶の念仏の声が響き渡った。

6日、増上寺での日中法要前に勤められた庭儀式の様子

また増上寺(小澤憲珠(けんじゅ)法主=東京都)では、4日に小澤法主を導師として開白法要を営んだのに始まり、5日から7日まで日中法要が営まれた。法要の前には、唱導師が僧侶や関係者らを伴って、同寺大門(総門)前の寺院から大殿(本堂)まで列をなす「練行列」が行われ、本堂の前では、庭儀式も勤められた。境内には、国内外からの観光客など多くの参詣者が訪れ、荘厳な様子に見入っていた。

※大本山善導寺と大本山光明寺は1月25日に御忌法要を勤めました。