浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第8回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第2章
善導和尚正雑二行を立てて、しかも雑行を捨てて正行に帰するの文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回の復習】

今月号から第2章に入ります。第1章で法然上人は、仏教のすべての教えは、自らの力でさとりを開くことを目指す「聖道門」と、まずは阿弥陀仏の極楽浄土に往生して、そこでさとりを開くことを目指す「浄土門」の二つに分類できることを示されました。そのうえで、前者の教えを全うできる者はただの一人もいるはずがないので、後者の教えに帰依すべきことを訴えられたのです。続く第2章では、浄土門に帰依した私たちの修行を体系立てて明らかにされます。

【篇目】

善導大師が、仏教の修行について、〈正行〉と〈雑行〉との2種の分類を立てたうえで、雑行ではなく正行に帰依すべきことを述べられました。そのことを明らかにする章です。

【解説】

本章において法然上人は、善導大師が撰述された『観経疏』と『往生礼讃』に基づいて浄土往生のための行について整理を施されます。善導大師(613-681)は中国唐代に活躍、長安を中心にお念仏の教えを弘めた方で、法然上人は「浄土五祖」の中心に位置づけられました。とくに阿弥陀仏の化身としてあがめられたことから、中国浄土教の大成者と広く仰がれています。

【引文】

『観経疏』第4巻「散善義」には次のように述べられています。
「浄土への往生を目指すために修めるべき行に対し、信心を確立すべきことを明らかにする。まず、その行は次の2種類に分けられる。一つは〈正行〉であり、二つは〈雑行〉である。正行とは、浄土往生を中心に据えた経典に基づく行なので、阿弥陀仏や極楽浄土に親しく、純粋に浄土往生のための行である。だからこそ正行と名付けられる。次の五つの行が正行にあたる。

①心を集中させ、もっぱら本書(『観経疏』)で註釈している『観無量寿経』、そして『阿弥陀経』や『無量寿経』(以上、「浄土三部経」)という、極楽への往生を中心に説く経典を読んだり、覚えて唱えること(読誦正行)

②心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏や極楽浄土に思いを向けて、その尊いお姿や浄土の妙なる様相を思い描き、心を静めてありのままに観察し、それを心の内に長く留め置くこと(観察正行)

③礼拝(敬意をもって礼すること)するときには、心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏を礼拝すること(礼拝正行)

④仏や菩薩の名を口にとなえるときには、心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏のお名前(名号)をとなえること(称名正行)

⑤仏の徳を讃えて供養するときには、心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏の徳を讃え、阿弥陀仏に供養すること(讃歎供養正行)

【解説】

善導大師によれば、正行はいずれも阿弥陀仏や極楽浄土に直接関係するもので、大師はそれらを5種の行として整理されました。
浄土往生のための行の体系化は、大師よりも前にインド浄土教の祖師・世親菩薩(5世紀ごろ)が行っていました。善導大師は、その世親の行った体系化を五種正行という分類に大胆に改変され、お念仏(称名正行)が前面に表れることを目指されたのです。

【引文】

正行は、さらに次の2種類に分けることができる。まずは心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏の名号をとなえ、歩いていても止まっていても、座っていても横になっていても、時間の長い短いにかかわらず、片時も絶え間なく、怠ることなく阿弥陀仏の名号をとなえ続ける称名正行(④)。これを〝阿弥陀仏が選定され、浄土往生が定まった行〟の意味で、〈正定業〉と名付ける。なぜなら、阿弥陀仏が菩薩であった時代に誓われ、永い修行を経て成し遂げられた願いに素直にしたがった行に他ならないからである。もう一つは、称名正行以外の、阿弥陀仏を礼拝する行や「浄土三部経」を読誦するなどの行であり、これらは〝称名正行に行者の心を向かわせる行〟の意味で、〈助業〉と名付ける。この正定業と助業(正行)を除く他の諸々の善い行いはすべて雑行と名付ける。
 もし正行を修めれば、行者の心は常に阿弥陀仏や極楽浄土に親しみ近づき、阿弥陀仏や極楽浄土への思いを心に長く留め続け、決して絶えることがない。そのためこの行は〝阿弥陀仏との隙間がない〟という意味で無間の行と名付けられる。一方、雑行を修めると、阿弥陀仏や極楽浄土への行者の思いが途切れた状態が続いてしまう。そうであるから雑行は、修めた功徳を浄土往生のために振り向ける(回向する)ことによって、往生が叶う可能性は否定できないが、〝浄土往生には疎く、雑多な行〟という意味で、疎雑の行と名付けられるのである」と。

【解説】

ここで善導大師は、五種正行をさらに正定業(第四の称名正行)と助業(称名正行以外の4種の正行)とに分け、浄土往生の行として阿弥陀仏が本願に誓われたお念仏(称名正行)を浮き彫りにされます。浄土門と聖道門、正行と雑行、正定業と助業、こうした3段階の選び取りを経て、全仏教の帰結点としてのお念仏一行がいよいよ明らかになるのです。 次回は善導大師の一連の説示に対する法然上人による解説から始まります。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。