連載 仏教と動物 第21回 猫にまつわるお話
お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第21回目は、多くの人々に愛される動物「猫」を取りあげます。
神聖視される動物
飼い猫の先祖はエジプトの野生猫のリビアヤマネコで、はじめは犬のように狩猟に使われましたが、エジプト人によって、飼いならされ、後には、鼠の駆除のために使われました。リビアヤマネコはアフリカから南ヨーロッパ、インドにかけて広く分布しています。古代エジプトでは神聖視され、死体はミイラにして聖所の陰に葬られました。
猫は鋭い視覚、敏感な聴覚、優れた嗅覚を持っていて、外敵から身を守るため、狭く暗い場所や高い場所など、身を隠すことができる場所を好みます。また独立心が強く、縄張り意識が高いのも特徴です。
諸説ありますが、弥生時代からすでに日本に猫がいたとされ、平安時代になると、現在のように愛玩動物として扱われるようになります。『枕草子』には、一条天皇が猫に官位を与えるほどかわいがったという話があります。
今回は、『ジャータカ』にある、猫にまつわるお話です。
野鶏と猫
昔、インドのバーラーナシーという国でブラフマダッタ王が国を治めていた時、お釈迦さまは野鶏として森に生まれ、数百羽の野鶏に囲まれて森の中で暮らしていました。
その森からほど遠くないところに1匹の牝猫が住んでいました。彼女はお釈迦さまを除いて他の鶏たちを巧みにだましてまるめこみ、残らず食べてしまいました。 しかし、お釈迦さまだけは彼女の術中に陥りませんでした。
そこで彼女は、「この鶏はとても頭がいいけれど、私の頭のよさや、巧みな計略をわかっているまい。この私が『あなたの妻になってあげましょう』と甘い言葉で彼をあざむき、自分のものとなった時、食べてやろう」と考えました。
彼女は彼の住んでいる樹の根元に行って、まず煽てたうえで、彼に求婚しながら第一の詩をとなえました。
美しく色とりどりの羽におおわれ、
とさかを長くたらした鳥さん、
樹の上から降りてらっしゃい。
わたしはあなたの妻になることを願っているだけ なのです。
それを聞いたお釈迦さまは、「こいつは私の親戚をみんな食べてしまった。今度は私をまるめこんで食べるつもりだ。追い払ってしまおう」と考えて、第二の詩をとなえました。
美しい女よ、あなたは4本足、
魅惑的な女よ、わたしは2本足。
獣と鳥とは結ばれるものではありません。
よそで夫を捜しなさい。
そこで彼女は、「こいつはとても頭がいい。何とか手を打ってたぶらかし、食べてやろう」と考え、第三の詩をとなえました。
わたしはあなたの幼な妻、
甘い言葉もささやきましょう。
清らかな心で、わたしを受けとめてください。
あなたの意のままにしてください。
そこでお釈迦さまは、「彼女をののしって追い返してしまおう」と考え、第四の詩をとなえました。
あなたはわが鳥の血潮をすすり、
これを盗んで惨殺した。
おまえがわたしを夫にと望むのは、清い心によるはずがない。
牝猫はこの言葉によって、ついに追い払われ、二度と姿を見ることはありませんでした。
綺語を戒め正しく 真実を見る
お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。
このお話は、お釈迦さまがインドの祇園精舎に滞在している時に、女性に悩んでいる修行僧を前にして、「修行僧よ、婦人というものは、じつに猫のように、よく人をあざむき、甘い言葉で人をまるめこみ、自分の意のままになして、ついに破滅させるものである」と言って過去のことについて話されたものです。
お話に登場する野鶏はお釈迦さまの前世の姿です。
獲物をねらう猫が言葉巧みに鶏に近づきますが、その計略を見破った鶏は、猫を追い払いました。
真実にそむいて、巧みに飾った言葉(「綺語」)を戒め、正しく真実を見ること(「正見」)の大切さを表しています。
仏教で猫は嫌われ者?
今回のお話をはじめ、もともと猫は、仏教ではあまり歓迎されない動物でした。猫のことを良く書いてある経典は皆無に等しいばかりか、「悪いことをすると猫に生まれ変わる」と書かれたものもあるくらいです。
日本でも江戸時代になると、猫は魔性の動物とされ、特に葬儀の場所ではタブーとされてきました。
それでは、古来、猫は嫌われ者だったかというと、そうではなく、日本の仏教においてなくてはならない存在でした。
猫は、鼠から書物や経典を守るために、遣唐使と共に日本にやってきました。
もともと古代エジプトなど世界では、猫は神として崇められる動物でした。書物や農作物など、あらゆる物をかじる鼠の被害が深刻な問題であった日本でも、猫が有益な動物であるとわかると、そこから神として崇め始める人も多くなったとされています。
大事な仏典などを鼠から守ってくれる猫がいたからこそ、経典などが無事に伝えられ、今日の日本仏教にもつながるのです。