浄土宗新聞

連載 仏教と動物  第22回 鰐にまつわるお話

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お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第22回目は、狂暴な動物として人々に恐れられる「鰐」を取りあげます。

畏怖される動物

 鰐は、爬虫綱ワニ目に属する爬虫類の総称で、肉食性で水中生活に適応しています。扁平な体や顔の上に位置する感覚器官、側方に突き出した手足に強靭な尾、背中を覆う分厚いウロコ(鱗板骨)などが特徴です。
 陸上では鈍重なイメージがありますが、短距離なら人を凌ぐ速さで走ることもでき、水中では尾を左右に振って水の抵抗となる手足を体に密着させ泳ぎます。
 現生種は熱帯から亜熱帯にかけて分布し、淡水域(河川・湖沼)や一部の海域に生息します。
 鰐の生息する地域では、泳いでいる人間が襲われることもあり、鰐は邪悪な動物、魔性の動物とされることが多いですが、一方で、鰐を神聖視する例も多く見られ、古代エジプトでは、鰐は豊穣やナイル川そのものを象徴し、インドでは鰐を神聖な生き物として飼う寺院もあります。
 今回は、『ジャータカ』にある、鰐にまつわるお話です。

サルとワニ

昔、インドのバーラーナシーという国でブラフマダッタ王が国を治めていた時、お釈迦さまはヒマラヤ地方でサルとして生まれました。彼は象のように強く、力があり、身体は大きく美しい姿をしていました。ガンジス河が曲がっているあたりの森の中に住んでその森の王様となっていました。
 その頃、ガンジス河には一匹の雄のワニが住んでいました。このワニは大いに悩んでいました。というのも、ワニの妻は妊娠中で、食べ物の好みが異常となり、どうしてもサルの心臓が食べたいと言ってきかないのです。妻は、サルの王の身体を見て、言いました。
 「ねえ。あなた。私はあのサルの王の心臓が食べたくなったわ。何とかして、捕まえてくださいな。もし手に入らなかったら、私は死んでしまいますわ」
 「心配するな。一つの方法があるから、おまえにあいつの心臓を食べさせてやろう」
 こう言って、ワニは妻を安心させました。
 サルの王がガンジス河で水を飲み、岸辺に座っていた時、ワニは近づいてこう言いました。
 「サルの王よ、ガンジス河の向こう岸には、マンゴーやらパンの木の実やら、おいしい果物がいくらでもあるのに、なぜあちらに行って、いろいろな果物を食べようとはなさらないのですか?」
 「ワニよ、ガンジス河は深く、広い。どうして私があちらに行けましょう?」
 「もしあなたがいらっしゃるのでしたら、私があなたを背中に乗せて連れて行ってあげましょう」
 サルの王はワニを信用して「それはよい」と承知し、その背中に乗りました。
 ワニは少し乗せて行ってから、突然、サルの王を水中に沈めました。
 サルの王は、「おい、私を水中にしずめるとは、いったいどういうことなんだい?」とたずねました。
 「私は何も親切でおまえを連れて行くわけじゃない。妻がみごもっているので、おまえの心臓をしきりにほしがるのだ。だから妻におまえの心臓を食べさせてやりたいのさ」
 「なるほど、それなら私の心臓をやってもいいんだけれども、あいにく今は持ち合わせていないんだよ」
 そう言ってサルの王は、ほど遠くない岸辺にあるよくみのった実がたわわについている一本のウドゥンバラの木を指さして、
 「もし私たちの身体の中に心臓があったら、梢を飛び回っているうちに粉々になってしまうだろうよ。見てごらん。あんなに私たちの心臓が一本のウドゥンバラの木にぶらさがっているだろう」と言いました。
 「もし私に心臓をくれるなら、おまえを殺さないよ」
 「では、あそこへ私を連れて行ってくれ。そうしたら木にぶらさがっている心臓をおまえにあげよう」
 ワニは猿の王を乗せて、そこへ行きました。サルの王はワニの背から飛び上がって、ウドゥンバラの木に腰かけ、
 「馬鹿なワニめ! いったい生き物の心臓が木の上にあるとでも思っているのかい? おまえの身体は大きいけれど、智慧はちっともないんだね」と言って、ワニを馬鹿にしました。
 ワニは千金を失ったかのように悲しみ、意気消沈して、自分のすみかへ帰って行きました。

智慧の大切さ

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。
 このお話は、お釈迦さまがインドの祇園精舎に滞在している時に、弟子で従兄弟にあたる提婆達多が、自分を殺そうとしたことについて話されたものです。
 提婆達多はお釈迦さまの並外れた才覚を妬み、後に教えに背いて別の教団を作ったとされ、『ジャータカ』の中でも、提婆達多とお釈迦さまは、時に父親と息子、あるいは互いに動物として登場して敵対します。
 お話に登場する猿の王はお釈迦さまの、鰐は提婆達多の前世の姿です。
 心臓を食べたいという妻の欲望をかなえるため、猿をだまして背中に乗せた鰐が、愚かなために猿に逃げられました。
 愚かさを戒めること、智慧の大切さを表しています。


水運の神 宮比羅大将

宮毘羅大将立像(亥)奈良国立博物館蔵 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

 今回のお話をはじめ、鰐は、邪悪な動物、魔性の動物とされることが多く、古今を通じ、インドの説話文学では、愚か者、智慧のない者の象徴として描かれています。
 そんなマイナスイメージの多い鰐ですが、仏教では、仏の守護神として崇められています。
 インドの聖なる河ガンジス河に棲む鰐は、「クンビーラ」と呼ばれ、それが神格化されて水神となりました。この神が仏教に取り入れられて、薬師如来をお守りする十二神将の筆頭である宮比羅(宮比羅大将ともいう)となりました。金比羅、金毘羅、琴比羅とも音写され、独立の守護神として祀られています。
 クンビーラはガンジス河を司る女神ガンガーの乗り物でもあることから、日本の香川県にある金刀比羅宮では海上交通の守り神の金毘羅大権現として信仰されてきました。特に舟乗りから信仰され、一般に大きな港を見下ろす山の上に金毘羅宮、金毘羅権現社が全国各地で建てられ、金毘羅権現として祀られました。