心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第17回
浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。
第3章
弥陀如来余行を以て往生の本願となしたまわず。唯念仏を以て往生の本願となしたまえるの文
②
||味わい方
このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。
【前回】
法然上人は、お念仏が阿弥陀さまやお釈迦さまなどが選ばれた修行であるとする「選択思想」について明らかにするため、『無量寿経』の内容を丁寧に引用されていきます。前回は、法蔵菩薩(阿弥陀仏がまだ菩薩として修行されていたころの名前)が登場される前に53の仏が現れたという部分の引用まででした。今回はいよいよ法蔵菩薩が登場されます。
【私釈】
53の仏が入滅されたのちに現れた54番目の仏は、世自在王仏と名のられた。そのころ、一人の国王がおられ、世自在王仏の説法をお聞きになった。国王は、心に深い歓喜を抱き、さとりを目指す心をおこし、国王の地位を退き、出家して僧となり、法蔵菩薩と名のられた。
法蔵菩薩は、すぐれた才徳を身にそなえ、勇敢さと深い智恵は世に抜きん出ておられた。そして、世自在王仏のもとに詣でた法蔵菩薩は、すべての衆生(命あるもの)を救いたいという自らの揺るがぬ志を吐露された。(中略)
その堅固な志を知った世自在王仏は、法蔵菩薩のために、210億もの仏が各々構えている仏国土(浄土)について、そこに住む者たちの善い点と悪い点、その浄土の優れている点とそうでない点を説き示し、法蔵菩薩の願いに応じてそれら一つひとつを現し出されたのである。
【解説】
前号で法然上人は、すべての仏は菩薩時代、衆生を救うために「総願」と「別願」という2種類の誓願を立てることを説明されました。阿弥陀仏の極楽浄土をはじめとする浄土は、菩薩が修行を完成させ、さとりを得て仏となり、その誓いを成就させることで成立するとされ、浄土やその住民の性質は誓願によって決まります。
総願はあらゆる菩薩に共通しますが、別願は菩薩によってそれぞれ内容が異なります。世自在王仏は法蔵菩薩に大いなる期待を寄せていたため、彼がすぐれた誓願を立てられるようにと、なんと210億もの諸仏の浄土を実際に現し出されたというのです。
「210億」と言われてもピンとこない数字ですね。すべてといっても過言でない数の浄土のありさまを目のあたりにされた法蔵菩薩はその様相をじっと観察され、自身がこれから立てようとする誓願へと昇華させていきます。
また、このとき現れ出た210億の浄土の仏たちも法蔵菩薩が誓願を立てる様子を見ていたのでしょう。ある経典の一節には、のちに法蔵菩薩が立てた誓願が成就したことをあらゆる方角の仏が証明し、その功徳を讃える場面が描かれています。
【私釈】
法蔵菩薩は、世自在王仏が示された厳かで清浄な浄土のさまや特徴について感じ取り、それらを余すところなくご覧になった上で、世を超えてこの上なく勝れた誓願を立てられたのである。その時の法蔵菩薩の心は静かに澄み渡っており、志には一点の曇りもなく、あらゆる世界を見渡しても及ぶ者などいようはずがなかった。そして、この上なく荘厳が整った自身の浄土を建立するための行について、5劫という永い時間にわたって考えを整理して、すぐれて清浄な行だけを〈摂取(取捨)〉されたのである。
【解説】
世自在王仏の思いに応えるため、法蔵菩薩は、自身の建立する浄土は他のどの浄土よりも優れた最高のものにしたいと思いました。
そこで、具体的にどのような浄土にし、どのような手段で衆生がそこに往けるようにしたらよいか、などを考えるため、現された他の浄土を事細かにご覧になり、善い点や優れている点を選び取り、そうでない点を選び捨て、5劫(コラム参照)という、永い時間をかけて考え抜いた結果、この上なく優れた「四十八願」をお立てになったのです。それは、すべての衆生を自身の浄土(極楽)に救い導くために他なりませんでした。
【私釈】
ここまでの内容を釈尊から聞いた阿難は、法蔵菩薩が5劫という永い時間にわたって考えを重ねた点に不審を抱き、『世自在王仏の浄土に住む者の寿命はいかほどか』と釈尊に尋ねた。すると釈尊は、『世自在王仏の寿命は42劫である』とお答えになった。このようにして法蔵菩薩は、諸仏が建立された210億もの荘厳された浄土を建立するにあたり、優れて清浄な行だけを〈摂取〉されたのである」と。
【解説】
ここで、お釈迦さまの説法を聞いていた弟子の阿難は、法蔵菩薩が思惟した5劫という時間について、私たちの世界の人の寿命と照らし合わせて質問をします。この世を生きる私たちが5劫という時間を生きながらえ、考え続けるというのは到底不可能だからです。それで、世自在王仏の世界の人々の寿命がどれほどなのか尋ねたのです。それに対しお釈迦さまは、世自在王仏の寿命を答えられたのです。
法然上人がこのやり取りの箇所を取り上げられたのは、阿難のように私たちの世界の常識で時間を考えた人が、法蔵菩薩が5劫という果てしない時間をかけて誓願を立てられたことに疑問を抱くかもしれないと危惧されたためです。ここで『無量寿経』からの引用は終わります。
次回は、インドの言葉で作られた『無量寿経』を、別の人物が漢文に訳した経典の引用から始まり、四十八願の内容へと進みます。
- 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
- 大正大学仏教学部教授
- 慶岸寺(神奈川県)住職
- 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。