浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第29回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第4章
三輩念仏往生の文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回

無量寿経』の上輩・中輩・下輩の三輩に説かれるお念仏とその他の諸行の関係をめぐって法然上人が提示された3種の理由のうち、① 廃立の義と② 助正の義について紹介してきました。今回は、③傍正の義についてです。

【私釈】

第3に、お念仏にも、その他の諸行にも、それを修める人々に応じてそれぞれ上・中・下という3通りの捉え方(三輩)があることを示すため、諸行を説いているということ(傍正の義)について説明します。

まず、お念仏の教えに3通りの捉え方を立てるとは、三輩の中には、共通して「心を一つにしてただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえる(一向専念無量寿仏)」と説かれています。これが、お念仏に着目した3通りの捉え方をしているということです。それ故、『往生要集』の第8・念仏証拠門には、「『無量寿経』の三輩に説かれる行には、それぞれの勤めや功徳に浅い・深いがあるものの、三輩すべてに共通して、『心を一つにしてただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえる』と説かれている」と述べられているのです。中国の懐感禅師の理解も、『往生要集』と同様です。

【解説】

ここで法然上人は、三輩に共通してお念仏が説かれていることを指摘されたうえで、「三輩に説かれる行には、それぞれの勤めや功徳に浅い・深いがある」という『往生要集』の一節を引用し、同じお念仏が三輩それぞれに説かれている理由とされます。つまり、お念仏にも、浅深などの違いがあることを踏まえておられるのです。

その直後に上人が紹介された懐感禅師は、著書の中で『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』のお念仏についての箇所を踏まえて「上位の者には生涯を通じた念仏を説き、中位の者には日単位の念仏を説き、下位の者には時間単位の念仏を説く」(『群疑論』五)と説かれ、お念仏をとなえる時間の長短に応じた分類を試みられました。法然上人も、『選択集』次の第五章段において「観念の浅深」と「念仏の多少」によって整理を施されます。

【私釈】

次に諸行の教えに3通りの捉え方を立てているとは、三輩の中に、共通して「さとりを目指す心をおこす( 菩提心)」などの諸行が説かれています。これが、諸行に着目した3通りの捉え方を立てているということです。それ故、『往生要集』の第9・諸行往生門には、「『無量寿経』の三輩に諸行が説かれているのは、諸行を修めて浄土往生を目指すという範疇を出るものではない」と述べられているのです。

【解説】

ここで法然上人は、上輩と下輩に共通して「菩提心」が説かれていることから、諸行にもそれぞれの勤めや功徳に浅深があることの例とされます。その上で、諸行を修めることによって浄土往生の可能性を説く『往生要集』の諸行往生門を引用して、三輩に説かれる諸行も往生の行の範疇にあることを明らかにされます。

しかし、お念仏のように、明確に上輩・中輩・下輩の三輩すべてに共通して説かれる行が諸行には見出せないことから、釈尊は、さまざまな状況に応じて、傍らにこれらの行を説かれているのに対し、ご自身の正しい意思として終始一貫してお念仏を説かれていることが分かるのです。

【私釈】

およそ、これまで述べてきたお念仏と諸行をめぐる3通りの解釈(廃立・助正・傍正)は、それぞれ異なっているものの、ただひたすら人々にお念仏をとなえさせることを目指すという共通した意図があります。

はじめの解釈は、〈廃〉と〈立〉を明らかにするためです。すなわち、釈尊は、功徳が劣り、修めるのも難しい諸行を人々に〈廃させ(やめさせ)〉、功徳が勝れ、修めるのも易しいお念仏を人々に〈立てさせる( 実践させる)〉ために諸行を説いているのです。

次の解釈は、〈助〉と〈正〉を明らかにするためです。すなわち、釈尊は、阿弥陀仏が浄土往生のため〈正に〉定められたお念仏を人々にとなえさせようとする心をおこさせ、あるいは、より多くとなえさせるため(助発・助成)に諸行を説いているのです。

最後の解釈は、〈傍〉と〈正〉を明らかにするためです。すなわち、お念仏とその他の諸行の二つの教えが説かれますが、釈尊は、ご自身の内から涌き起こる〈正しい意思〉としてお念仏を説かれたのに対し、目前の人々のさまざまな状況に応じて〈傍ら〉に諸行を説かれたとされるのです。それ故、三輩に共通して、お念仏をとなえることを明らかにしていると申し上げているのです。

【解説】

これまで述べてきたお念仏と諸行をめぐる廃立・助正・傍正という3通りの解釈について法然上人は、ここで再度整理を施されます。これらの解釈は、三輩を説かれた釈尊の真意、さらに、お念仏を浄土往生の行として定められた阿弥陀仏の慈悲に照らし合わせて整理されていることが分かります。

次回はこれら解釈の優劣、そして再び問答に入っていきます。

教えて 林田先生!

法然上人は同じお念仏や諸行を3種類に分類されていますが、それぞれ何か違いがあるのでしょうか。

解説でも言及したように、法然上人は①観念の浅深、②念仏の多少という分類をあげ、お念仏にも3種あるとします。
①はとなえる際の心構えの強弱、②はとなえた数の多少や時間の長短などによって分類するものです。諸行についても、お念仏と同様に心構えや数、時間による分類があてはまります。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。