浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第41回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)を大正大学教授・林田康順先生が解説。

第8章 念仏の行者必ず三心を具足すべきの文②

身と口と心に真実の想いを―止悪修善―

【現代語訳】

引文

(※善導大師『観無量寿経疏』引用の続き)
至誠心の〈至誠〉が意味する〈真実〉には2種がある。第1は、阿弥陀仏に救われたいという思いについて内心も外面も嘘偽りがないことで、結果として自身が浄土往生を遂げるという利益をもたらすことになる〈自利の真実〉、第2は、多くの人々が阿弥陀仏に救われることを願って、自身が具える真実の心を人々に教え伝えることで、結果として伝えられた人々が往生を遂げるという利益をもたらすことになる〈利他の真実〉である。
 〈自利の真実〉は、さらに2種類に分けられる。①真実の心の中に、自身や他人がこれまで犯し、これからも犯すであろうさまざまな悪行、そして、厭うべき穢れたこの世界への執着などを制止して捨て去ること。そして、歩いていても止まっていても座っていても横になっていても、いついかなる時も、すべての菩薩があらゆる悪しき行為を制止し、捨て去られているのと同様に、自身もそのようにありたいと想い実践すること〔止悪〕。②真実の心の中に、自身や他人、さらには、すべての菩薩がこれまで修め、これからも修めるであろう、さまざまな善行を自身もそうありたいと想い実践すること〔修善〕。
(止悪と修善について、この2種に加え身と口と心の働きそれぞれとその全体について以下の8種類の細分がある)
 ③真実の心の中で発する口の働きにおいて、阿弥陀仏のお姿や極楽浄土の荘厳のありさまを褒めたたえること〔修善〕。また、④真実の心の中で発する口の働きにおいて、衆生が生まれ変わり死に変わりを繰り返す3種の迷いの境界(三界)や生前のさまざまな悪しき行為の報いによって趣く6種の世界(六道)において、悪行の報いとして苦しみに苛まれる自身や他者の姿、その環境を嫌い厭うこと〔止悪〕。そして、すべての衆生が身と口と心の働きによって修めてきた善行を褒めたたえ、そうでない場合は敬遠して関わりを持たないようにして、その行為を共に喜び合わないこと。
 ⑤真実の心の中で実践する身体の働きにおいて、阿弥陀仏や極楽浄土に向け、合掌・礼拝して恭しく敬い、食べ物や飲み物、衣服、寝具、薬といった品(四事)などを供養すること〔修善〕。また、⑥真実の心の中で実践する身体の働きにおいて、この三界に生きる自身と他者の姿やその環境を厭い捨てること〔止悪〕。
 ⑦真実の心の中で具える心の働きにおいて、阿弥陀仏のお姿や極楽浄土の荘厳のありさまを思い描き、心を集中して観察し、記憶にとどめて、あたかも目の前に現れ出ているかのように勤めるべきこと〔修善〕。また、⑧真実の心の中で具える心の働きにおいて、この三界に生きる自身と他者の姿やその環境を厭い捨てること〔止悪〕。
 ⑨もし身と口と心において不善の働きが動き出したならば、必ず真実の心の中に厭い捨てるべきこと〔止悪〕。⑩もし身と口と心において善い働きが動き出したならば、必ず真実の心の中に実践すべきこと〔修善〕。
 このように内心と外面どちらでも、他人が見ている場所でも見ていない場所でも、いかなる状況でも、すべての働きを嘘偽りのない真実の心の中に行うべきである。それ故、至誠心と名付けるのである。

【林田先生の解説】

 前回から始まった第8章では、念仏者の心構え〈安心〉について取り上げられます。その引文に書かれる『観無量寿経疏』で善導大師は、往生を目指すものが具えるべき、至誠心・深心・回向発願心という三つの心〈三心〉について詳細な解説を施されます。
 そのなかで、至誠心とは真実の心であり、私たちの身と口と心の働きは真実の想いでなすべきことが、説き示されました。
 今号では、至誠心(真実の心)の具体的なありようが明らかにされます。
 まず善導大師は、浄土往生という利益を自身が受ける〈自利の真実〉と、自己以外の多くの人々にその利益を受けてもらおうとする〈利他の真実〉の二つをあげられます。しかし、この後、〈利他の真実〉については言及されません。この点について浄土宗の三祖・良忠上人は「〈自利の真実〉の解釈を通じて、〈利他の真実〉についても知らせておられる」(『選択伝弘決疑鈔』)とされました。なるほど、私たちが〈自利の真実〉を受けとめ、それを実践することによって、周囲の人々にも真実心の大切さが自ずと伝えられることになるということでしょう。
 次に大師は、〈自利の真実〉のあるべき姿について、
a総論
b口の働き(口業)
c身体の働き(身業)
d心の働き(意業)
e口と身体と心の働き(三業)
という5種をあげ、それぞれについて、A悪行をとどめる止悪
B善行を修める修善
の2種に配当し、10種に細分化されました(本文①~⑩)。
 総じてこれを「十重の厭欣」と呼んでいます。この内容を通じて大師は、私たちのいる迷いの世界である三界や六道に関わるすべての行為を厭い戒め(止悪)、極楽浄土に関わるすべての行為を欣び勧められます(修善)。
 こうした考えを受けて法然上人は、ご法語の中で「至誠心とは真実の心のことです。その身で礼拝するにしろ、口にお念仏をとなえるにしろ、心の中に阿弥陀仏のお姿を思い描くにしろ、真実の心をもって実践しなさい。
 総じて言えば、私たちの住むこの汚れた娑婆世界を厭い離れ、清らかな極楽浄土に往生することを欣い求めて、さまざまな行を修めようとする人は、常にこの真実の心をもって勤めなければなりません」と説き示されています(『三心義』)。
 さらに法然上人は、「三心の中の至誠心の心を」と題して、次の和歌を詠まれました。

往生は
 よにやすけれどみなひとの
 まことの心なくてこそせね
(浄土往生は、誰にでもとなえられるお念仏によってかなえられるので、いともたやすいこと。しかし、人々が誠の心を具えられずに、浄土往生をかなえられないのは実に残念なことです)

 このように、上人は至誠心の大切さと、それをなかなか具えられない私たちの心を歌に詠みこまれています。
 次回は、三心の一つ深心について、その種類が明らかにされます。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。