連載 仏教説話に見られる植物 第1回 蓮

お釈迦さまの前世を描いた物語『ジャータカ』をはじめ、仏教経典には、数多くの「植物」が登場します。この連載では「仏教説話に見られる植物」と題して、一つの植物を、その物語の情景とともに、紐解いていきます。
第1回目は6月の下旬から美しく花を咲かせ、寺院にも植えられることの多い「蓮」が登場するお話です。
さとりのシンボル
蓮は、泥の中に根を張り花を咲かせますが、開いたその花には泥がつかないことから、煩悩の多い世の中で、さとりを得ようとする仏教の教えを象徴する花とされています。
東南アジアの多くの寺院の池には蓮が植えられており、仏教徒にとって親しみがあり、かつ重要な意味を持つ聖なる花の一つです。
今回は、『ジャータカ』にある蓮にまつわるお話を紹介します。
香り盗人
むかし、インドのあるバラモンの家に一人の男の子が生まれました。健やかに成長した彼は、やがて都に出て広く学問を修め、志高く出家して、蓮の池のほとりで修行に励むようになりました。
ある日のことです。池のふちに佇んでいた若者は、水面を覆い尽くすように咲きそろった蓮の花の美しさに、すっかり心を奪われてしまいました。風に乗って漂ってくる清らかな香りに、彼はしばらくその香りを胸いっぱいに楽しんでいました。
その時、木の陰から一人の女神が現れ、立ち尽くしている若者に向かって詩を唱えました。
わずか 一 つの ハスとても
与えられない その花の
香りをかぐは どろぼうよ
あなたは香りの 盗人か
そこで若者は第二の詩を唱えました。
花を折った わけじゃなし
花を散らした わけじゃなし
香りをかいだ だけなのに
なんで呼ぶのか 盗人と
若者が困惑していると、池の中で泥にまみれ、蓮の根を掘っている一人の男が目に入り、女神に言い返しました。
「折るどころか、花を荒らし、根を掘り取っているあの男はどうなのですか。なぜ彼には何も言わないのですか」
すると、女神は若者に向かい、静かに答えました。
人の注意を 聞く耳なく
己の欲に おぼれる者に
なにを言っても 仕方がない
あなたはすべての 欲念を
捨てて修行に 励む人
ウサギの毛ほどの 罪とても
雲のごとくに 感ずべし
若者は女神の言葉に深くうなずき、思わず頭を下げながら歌いました。
実にあなたは 真実を
知ってわたしに 忠告す
この先同じ 過ちを
犯すわたしを見たときは
必ずとがめよ その過失
すると女神は、「いつもあなたのそばにいることは出来ません。これからは、もっと深く考え、正しく生きるように努めてください」と若者を諭し、去っていきました。若者はそれからますます修行に励み、天界に生まれ変わりました。
自らを律する
お釈迦さまは、王子として生まれさとりを得るまでに、さまざまな生き物に生まれ変わりをくり返していました。
今回のお話は、お釈迦さまがジェータ林(祇園精舎)にいた時に、修行僧に語ったもので、女神はお釈迦さまの女性の弟子・ウッパラバンナー、若者はお釈迦さまの前世の姿です。
女神が、蓮を荒らす悪人を見逃し、香りを嗅いだだけの修行者を戒めたのは、彼を「見捨てていない」からです。「自分はあんな悪人よりはマシだ」と比べて安心するのではなく、自らの心にある「ウサギの毛ほどの小さな罪」を「雲のように大きく重いもの」として慎む。お釈迦さまはこの物語を通して、自分を甘やかさない「反省の心」の大切さを説かれたのです。