浄土宗新聞

仏教と動物 第1回 牛にまつわるお話

イラスト 木谷佳子

イラスト 木谷佳子

お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。これから数回にわたり『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第1回目の動物は、丑年にちなんで「牛」を取りあげます。

神聖な動物

十二支には、それぞれ動物があてられていますが、その中でも牛はもっとも仏教と関わりが深い動物です。

現代でもインドでは牛は大切にされていますが、お釈迦さまの時代、牛は神聖な動物として崇められ、貴重な存在というところから物の価値もその頭数で数えられてきました。

仏教では、お釈迦さまなどの仏さまは、しばしば牛にたとえられ「牛王」と呼ばれています。ちなみに、お釈迦さまの本名(幼名)は、パーリ語で「ゴータマ・シッダッタ」。「ゴータマ」とは「最上の(tama)牛(go)」を意味します。

牛は仏典にもたびたび重んじられる動物として登場しています。ここで、『ジャータカ』にある牛にまつわる説話の一つを紹介しましょう。

黒牛の恩返し

昔、中インドのカーシ国の都バーラーナシー近くの村に一人の老婆が住んでいました。

ある時、旅人がやってきて老婆の家に一晩泊めてもらったものの、お金の持ち合わせがなく、代わりに1頭の子牛を置いていきました。

一人暮らしの老婆はこの牛をわが子のようにかわいがり大事に育てました。子牛は日に日に大きくなり、やがて毛並みの美しい黒牛に成長しました。

黒牛は美しいうえにおとなしく行儀が良かったので、村の人気者になりました。

幸せな日々を送りながら黒牛は、「おばあさんはお金持ちでもないのに、今日まで苦労しながら育ててくれた。なにか恩返しができないだろうか」とばかり考えるようになりました。

そんなある日、500台の荷車を率いた商隊が村を通りかかりました。川の渡し場を渡ろうとしましたが、川の流れが速く川底もひどくでこぼこで、荷車を引いていた牛たちは、すっかり疲れきって前へ進もうとしなくなりました。

困った商隊主は、若々しい立派な黒牛を見るなり、あの牛なら荷車を向こう岸に運ぶことができると思い、村人に飼い主を尋ねました。村人は、飼い主はここにいないが、渡し場を渡るくらいなら黒牛を使ってもさし支えないでしょうと答えました。

商隊主は黒牛に向かって話しかけました。「お前さんが全ての荷車を向こう岸まで引いてくれたら、1車につき2金、500車で千金払おう」

黒牛はしばらく考えてから体を動かし始め、次々に荷車を引いて向こう岸に渡したのでした。

商隊主は約束どおり大金の入った包みを黒牛の首に結びつけました。

老婆の家に着いた黒牛は力仕事をしたせいで目は血走り、息も荒く、ひどく疲れていました。その様子に驚いた老婆が黒牛に歩み寄り、体をさすってやろうとしたところ首の包みに気づき、開けてみると千金もの大金が出てきました。

心配した老婆はおろおろして村の人々に聞いて回りました。さっきの出来事を見ていた村人が事のいきさつを伝えました。

「おばあさんが一生懸命かわいがってくれるのがうれしくて、お礼がしたかったんだろうよ」

これを聞いた老婆は急いで家に帰り、黒牛の体を丁寧に洗ってきれいにし、力のつく食べ物をたくさん食べさせ、「お前の気持ちだけでわたしは十分うれしいんだよ。お礼なんか考えずに、いつまでも元気でわたしのそばにいておくれ」こう語りかけながら、黒牛の体をさすってあげました。

それからも老婆と黒牛は、実の母子以上に仲睦まじく、幸せに暮らし続けたといいます。

この話からわかること

インドには、仏教が興る以前から生き物は死んでから一定の期間が過ぎると、再びこの世に戻ってくるという考え方「輪廻転生」という思想がありました。

次の世に何に生まれ変わるかは、生前の行為にもとづくとされていて、「善業によって善きものになり、悪業によって悪しきものになる」という説が仏教以前に成立したバラモン教の聖典に記されています。

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。

このお話に登場する黒牛はお釈迦さまの前世の姿であり、困窮する老婆を助ける善行によって、恩に報い功徳を積みました。

ここでは、人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除く「慈悲」という仏教の根幹の教えをあらわしています。


【コラム】牛に引かれて善光寺参り

「牛に引かれて善光寺参り」のことわざで知られる長野県長野市にある名刹・信州善光寺。日本最古といわれる「一光三尊阿弥陀如来像」を御本尊として祀り、創建以来、阿弥陀さまとの結縁の場として、人々から広く信仰を得ています。
このことわざは、思ってもいなかったことや他人の誘いによって、良いほうに導かれることのたとえですが、長野県に古くから伝わる民話に由来しています。
昔、信濃国小諸に強欲で無信心な老婆が住んでいました。ある日軒下に布を干していると、どこからともなく牛が現れ、その角に布をひっかけて走り去ってしまいました。
老婆が怒りながら追いかけると、辿り着いたのは善光寺。恐る恐る金堂に入ると牛の姿はなく、よだれで書かれた「うしとのみ 思いはなちそ この道に なれを導く己が心を」との文字が輝いています。
それを見た老婆はすっかり信仰心に目覚め、家に帰り近くの観音堂にお参りすると、観音さまの足元になくした布がおかれていました。ますます信仰を深めた老婆は、めでたく極楽往生を遂げました。
このことから善光寺では、牛を仏の使いとしてあがめています。