浄土宗新聞

【浄土宗の読む法話】「仏の大慈悲に照らされて」

投稿日時

新聞の投書欄に「胎児に座席を譲った男の子」という一文が掲載されていました。

満員電車に妊婦さんが乗って来られて、おばあさんと並んで座っていた五歳ぐらいの男の子が突然妊婦さんに駆け寄り、「座りや」と席を譲ろうとしたのです。妊婦さんは「おばちゃんは大丈夫、ぼく座っとき」と応じました。すると男の子は、「おばちゃんが座るのと違う、お腹の赤ちゃんが座るんや」。これを聞いた妊婦さんは涙を流して、声を詰まらせながら、「ありがとう ありがとう」と座りました。男の子はおばあちゃんの膝の上に座り、仲良く三人で楽しそうにしていました。一連の動きを見ながら、車内は和やかな雰囲気に包まれました。妊婦さんはおそらく、お腹の子どももこんな子に育って欲しいなぁと願ったのだろうと思いました。
この記事を読んで慈悲心の大切さを改めて教えられました。

自分の事しか考えない人 自分の事として考える人

 似てるけど 全然違うんだなぁ (相田みつを)

「慈悲」の「慈」とは相手に喜びや安楽を与え心豊かにする。「悲」とは相手の痛みに共感し、この苦しみをなんとか取り除いてあげたいと願う心であります。

『観無量寿経』の中に「仏心とは大慈悲これなり」と説かれています。すべての人々に分け隔てなく慈しむ無縁(縁のあるなしに関係ない、すべてを対象とした)のお慈悲が仏様なのです。慈悲の漢字を四文字に変えると「玆心非心」(この心、心にあらず)自分の心を中心とするのではなく、相手の心を心として生きる。私たちは自分中心に生きています。慈悲心のある方でも、有縁の少悲しか起こせない。有縁の少悲とは、関係のある者、縁のある人に向く慈悲であります。

阿弥陀様が届けて下さる慈悲は「無縁の大慈悲」であります。

大いなるお慈悲に包まれていることに気づき、一人も漏らさずに救いたいとの阿弥陀様の願いにおすがりし、阿弥陀様のみ名をお称えするしかない私たちです。

合掌

大阪教区 大江組 稱念寺 葭間弘淳