浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第4回

投稿日時

浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第1章
道綽禅師聖道浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文

||味わいかた

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回の復習】

前回から、道綽禅師の『安楽集』の内容を受けた法然上人ご自身の解釈(私釈)に入りました。まず法然上人は宗派存続の基盤となる「経典の判別基準」について、五つの宗派を取り上げました。そして浄土宗では、全ての経典を聖道門と浄土門の二つに分ける方法を採ると宣言されたのです。続いて浄土宗という名前の根拠について問答(「問い」と「答え」)のかたちで説明されます。

【私釈】

(質問します)「○○宗」と名付けることは、すでに「華厳宗」や「天台宗」などはありますが、いまだ「浄土宗」という名前を付けるということは聞いたことがありません。「浄土宗」という名を付ける、その根拠はあるのでしょうか。

(お答えします)根拠はいくつかあります。『遊心安楽道(ゆしんあんらくどう)』(朝鮮・新羅の元暁(がんぎょう)作という書物には、「浄土宗の要点は、そもそも凡夫(ぼんぶ)を救いの対象としたもので、厳しい修行を重ねている人たち(聖人)は二次的な対象としたものである」とあります。また『西方要決(さいほうようけつ)』(中国・唐の慈恩大師基(じおんだいしき)作)には、「この一宗をよりどころとせよ」と、さらに『浄土論』(唐の迦才(かざい)作)には、「実はこの一宗こそ、迷いの世界から離れ出るための要の仏道である」とあります。
後者二つの書にある「この一宗」の語が浄土宗を指していることは、その前後の内容を踏まえれば間違いありません。これが「浄土宗」という名称の根拠であり、そう名付けることに疑念を挟む余地はないのです。

【解説】

法然上人は、「浄土宗」という名称が複数の仏典に見られることを紹介し、裏づけのあることを明らかにされました。たしかに、阿弥陀仏の極楽浄土のみならず、他の仏が建立された様々な浄土の存在が経典には示されており、多くの仏教徒たちが浄土を目指し修行をしてきました。しかし、インド・中国・日本へと仏教が伝わってきた歴史の中で、「浄土」の名を冠する宗派はありませんでした。法然上人が「浄土宗」の名称を付け一宗として独立することを宣言されたのは、それが阿弥陀仏による救いの力を正しく伝え遺すために、もっとも有効な手だてと考えられたからです。続いて法然上人は二つの門のうち、聖道門について解説を始められます。

【私釈】

(質問します)「○○宗」と名付けることは、すでに「華厳宗」や「天台宗」などはありますが、いまだ「浄土宗」という名前を付けるということは聞いたことがありません。「浄土宗」という名を付ける、その根拠はあるのでしょうか。

(お答えします)根拠はいくつかあります。『遊心安楽道』(朝鮮・新羅の元暁作)という書物には、「浄土宗の要点は、そもそも凡夫を救いの対象としたもので、厳しい修行を重ねている人たち(聖人)は二次的な対象としたものである」とあります。また『西方要決』(中国・唐の慈恩大師基作)には、「この一宗をよりどころとせよ」と、さらに『浄土論』(唐の迦才作)には、「実はこの一宗こそ、迷いの世界から離れ出るための要の仏道である」とあります。
後者二つの書にある「この一宗」の語が浄土宗を指していることは、その前後の内容を踏まえれば間違いありません。これが「浄土宗」という名称の根拠であり、そう名付けることに疑念を挟む余地はないのです。
宗にはさまざまありますが、その教えの立て方を一々述べることは本書の意図するところではないので、ここではしばらく、浄土宗における教えの立て方の概要を、厳しい修行を積み自らの力でさとろうとする教え「聖道門」と、まず阿弥陀仏の極楽浄土に往生してから、さとろうとする教え「浄土門」の、二つの分類から明かしてみましょう。前者は大乗の聖道門と小乗の聖道門に分けられます。
さらに大乗の教えは、

  • 顕教(けんぎょう)・・・釈尊が言語で示された教え
  • 密教(みっきょう)・・・大日如来が秘密裡に説かれたとする教え
  • 権教(ごんきょう)・・・方便として仮に説かれたとする教え
  • 実教(じっきょう)・・・真実の教え

などに分けられますが、前に引用した『安楽集』には顕教権教が示されているだけで、いずれもさとりまで長い時間を要する教えです。しかし、禅師の意図を推し量れば、聖道門には密教実教も含まれることになります。したがって、真言宗天台宗など現在、中国や日本に広まっている大乗仏教の八つの宗派の教えはすべて聖道門に含まれるのです。
また小乗の教えは、小乗仏教に属するあらゆる経典や戒律の書などに説かれる、煩悩を断ち切った境地をめざす教えを指します。先ほど同様、禅師の意図を推し量れば、倶舎宗(くしゃしゅう)や摂論(しょうろん)宗、数ある律宗の教えはすべて聖道門に含まれます。
いずれにしても、大乗・小乗どちらの聖道門も、迷いの世界であるこの娑婆(しゃば)にありながら、声聞縁覚菩薩の境地をめざし、それぞれのさとりを体得する教えです。

【解説】

法然上人は、大乗・小乗を問わず、これまで成立した宗派はいずれも聖道門であると述べられます。仏教徒の最終目標はさとりへの到達ですが、従来の宗派は、〝現世でさとりに至るべき”としてきました。法然上人は、煩悩にまみれた私たちには、それが不可能であることを見抜き、まず阿弥陀仏の極楽浄土に往生し、そこでさとりを開くことを訴えられます。ここに、さとりを目指す仏教(聖道門)から、阿弥陀仏の救いにあずかる仏教(浄土門)への大転換が成し遂げられたのです。

【私釈】

次に浄土門の教えを説く経典やその注釈書類は2種類に分けられます。一つは極楽往生の教えを中心に据えて説くもの、もう一つは極楽往生の教えを主とはしないものです。
前者に当てはまるのは「三経一論」と呼ばれる三つの経典と一つの注釈書。『無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』(三経)と『往生論』(一論)のことで、三経のことをとくに「浄土三部経」と呼んでいます。

【解説】

浄土宗の教えが阿弥陀仏の極楽浄土への往生を目指すものである以上、阿弥陀仏を主人公に描く経典を拠り所とすることが明らかにされます。
次回はこの〈三部経〉という呼び方、阿弥陀仏を中心に描かない経典、そして浄土門を選ぶべき理由について話は進みます。

||コラム  

大原問答

法然上人が『選択集』で、浄土宗の教義を順序だてて語られた理由の一つに、浄土宗の教えが広まる過程で他宗からたびたび質疑や非難を受けた、ということがあります。「大原問答(おおはらもんどう)」はその一つ。文治2年(1186)、天台座主顕真(けんしん)の要請により、数百名の僧侶が集まって、京都・大原の勝林院で開かれました。上人は、天台宗などの諸宗の教えは凡夫が実践するには非常に困難であることを示すとともに、浄土宗の教えこそ、今の時代の人々にふさわしいことを懇切丁寧に説明されました。一昼夜に及んだ問答を経て、僧侶たちは法然上人に心服し、三日三晩、お念仏の声が大原に響き渡ったのです。

Q&A 教えて林田先生

今回の冒頭のように「問い」と「答え」という形式がよく用いられるのはなぜでしょうか。

書籍をまとめるにあたり、執筆者は自身の意図を何とか読者に伝えようと工夫します。内容が難解であればなおさらです。崇高な思想を開示する仏教典籍の多くは、一方的に説明するのではなく、問答の形式を用いることで読者の理解を促しているのです。法然上人が『選択集』で問答形式を採用されたのは、その内容が従来の仏教の常識を覆すものであったからでしょう。


  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。

前回の記事 >
心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第3回

「法然さまの『選択集』」は、『浄土宗新聞』紙版で連載中。
ご興味を持たれた方は、ぜひご購読ください。お申込みはコチラから。