日々のおつとめ―浄土宗日常勤行式 第2回「香偈」
身も心も清らかに 「香偈」
願我身浄如香炉 (がんがしんじょうにょこうろう)
願我心如智慧火 (がんがしんにょちえか)
念念焚焼戒定香 (ねんねんぼんじょうかいじょうこう)
供養十方三世仏 (くようじっぽうさんぜぶ)
意訳
願わくは私の身が香炉のように清らかであり、私の心が智慧の火のようでありますように。
日々、戒律を守り、心を平静に保つための香を焚き、あらゆる仏さまを供養いたします。
【資料】毎日のおつとめ
前回はおつとめの前にすべき準備と、心得についてお話ししました。いよいよ今回からは勤行の始まりです。
今回は最初の偈文「香偈 」です。
唱え方、打ち方などは「浄土宗日常勤行式」の経本・CD・動画をご覧いただくと、より、参考になるかと思います。
【動画】浄土宗 毎日のおつとめ 四奉請・三唱礼ver
さて、この偈文の肝要は意訳にあるように、自らの身心が香炉(から立ちのぼる煙)のごとく、また智慧の火のごとく清らかであるように、と願うことです。
「智慧の火」とは、私たちの心の中に巣食っていて悩みや苦しみのもととなる煩悩を焼き尽くしてくれる、真理の火を指しています。
仕事、家事など日々の生活に追われ、なかなか静かに心を落ち着けることができないのが、私たち現代人の性ではないでしょうか。仏教ではしばしばこの心の様子を「水」に例えて説明します。法然上人も次のような歌を詠まれてその心理を表しています。
池の水
人の心に似たりけり
濁り澄むこと
定めなければ
このように水は、静かに落ち着きを保てば清浄に澄みわたり、ひとたび風が吹き乱れれば濁りきってしまうもの。私たちの心もまた同じです。
次に「戒」と「定」の文字が並びます。 「戒」 とは、修行者が守るべき仏教の規律「戒律」を持つことで、「定」とは静かに心を落ち着かせる禅定に励むことです。この戒と定の修行を経て真理の眼「智慧」へと向かうことから「戒定慧」を三学といい、昔から仏道修行の根幹とされてきました。
【資料】法然上人の生涯
しかし煩悩に引きずられ、どうしても〝心の水〞が濁ってしまう私たち凡夫には簡単には出来がたいもの。
法然上人は厳しい修行に身を置かれましたが、三学に堪えがたい自己を深く反省し「わがこの身は戒行において一戒をも持たず、禅定においては一つもこれを得ず」と仰せになられました。そして〝一切の人々にお慈悲を注がれるみ仏が、このような凡夫の救われる道を支度しておかれないはずがない〞と求道され、ついに、心が乱れた凡夫のままで救われるお念仏の教えに出あわれたのです。
お念仏は、三学によらない教えですが、阿弥陀さまにおすがりする中で、善の心が生じ、おのずと心の水は澄んでいくのです。ですから戒定の「香」を焚くということは、お念仏のなかで自然に行じているのです。
身心を清らかにし、仏さまを供養する準備を整える「香偈」 。法然上人の想いをしっかりといただき、お唱えしたいものです。
【関連リンク】
【動画】浄土宗 毎日のおつとめ 四奉請・三唱礼ver
【動画】浄土宗 毎日のおつとめ 三奉請・三身礼ver
毎日のおつとめ
法然上人の生涯