連載 仏教と動物 第13回 鷲にまつわるお話
イラスト 木谷佳子
お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第13回目は、精悍なイメージを持つ動物「鷲」を取りあげます。
父母の孝養
鷲は、タカ目タカ科に属する鳥のうち、大型のものの総称で、日本にはオオワシ、イヌワシ、カンムリワシなどが生息しています。
鷲にまつわる仏教説話には、父母を養うことと結びつけられているものが多く、インドの仏教説話集『ジャータカ』に述べられる「鷲の前生物語」にも、年老いて視力を失った父母鷲に対して、牛の肉などを運んで彼らの面倒をみる鷲が登場します。
鳥類が実際に、年老いた父母を養うかどうかは定かではありませんが、鷲の大きく雄大な空飛ぶ姿、そして彼らが食べ物を求める姿は、父母の孝養と結びつけられるのにふさわしいものであったのでしょう。
今回は、『ジャータカ』にある、母を養う鷲にまつわるお話です。
母を養うワシ
昔、インドのバーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた時、町はずれにある「鷲の峰」と呼ばれる山に、親孝行な1羽のワシが、年老いた母鷲を養いながら幸せに暮らしていました。
ある時、鷲の峰に大嵐がおこりました。ワシたちは嵐に耐えきれず、寒さを恐れてバーラーナシーの都に逃げ、城壁の近くの濠(ほり)のすぐ近くで寒さに震えながらとまっていました。
バーラーナシーの豪商が、町から出て沐浴をしに行こうとした時、そのワシたちが疲れ果てているのを目にしたので、彼らを濡れていない場所に集め、火をおこして体を温めてやり、牛の墓場に使いの者をやって牛の肉をもって来させ、彼らに与え保護してやりました。
嵐がおさまると、ワシたちはすっかり元気を回復し、山に戻っていきました。そこでワシたちは集まって、こう評議しました。
「バーラーナシーの豪商が私たちを救ってくれたのです。助けてもらった人には、お礼をしなければなりません。今後、だれかが、何か衣服かあるいは装身具を得たならば、それをバーラーナシーの豪商の家に空から落としてあげよう」
それ以来、ワシたちは、衣類や装身具を乾かしている人々の隙を見て、肉片を取るようにそれらを奪い、バーラーナシーの豪商の家に、空から落としました。
豪商は、ワシたちが持って来たものであることを知ると、それらをすべて別にして取っておきました。
町の人々が、「ワシたちが、町中を荒らしまわっている」と王さまに報告したので、王さまは、「ワシを1羽捕らえなさい。そうすれば、私が奪われたものを全てもどさせるから」と家来たちに命じて、あちらこちらに罠や網をかけさせました。
仕掛けた罠に、母親を養っているワシがかかってしまいました。家来はそれを捕らえて、「王さまに見せよう」と、王さまのところに連れて来ました。
バーラーナシーの豪商は、王さまに奉仕するために出かける途中、人々がワシを連れて行くのを見て、助けてあげようといっしょに王宮に向かって行きました。
人々はワシを王さまに差し出しました。そこで王さまはワシにたずねました。
「おまえたちは、町中を荒らしまわって、衣服などを盗んだろう」
「悪気はなかったのですが、おっしゃるとおりです。王さま」
「誰に与えたのか」
「バーラーナシーの豪商にです」
「どうして与えたのか」
「彼は、私たちの命を救ってくれたのです。助けてくれた人に対してお礼をするのは当然のことです。だから、それらを与えました」
すると王さまはワシに詩をとなえました。
「ワシは、百里先の死体を観察するというのに、どうしておまえは、罠が見えなかったのか」
ワシはその言葉を聞いて、詩で返しました。
「滅びつつある人が、命を失う時に、罠や網に近づいても、それに気づかない」
ワシの詩を聞くと、王さまは豪商にたずねました。
「豪商よ、ワシたちがあなたの家に衣服などを運んだのは、本当のことか」
「本当です。王さま」
「それらはどこにあるのか」
「私は全てのものを別に取っておきました。持ち主に返しましょう。だからこのワシを放してやってください」
こう言って、ワシを放させてから、豪商は衣服と装身具をすべての持ち主に返しました。
恩に報いる
お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。
このお話は、お釈迦さまがインドの祇園精舎に滞在している時に、ある母親を養っている修行僧に対して語ったものです。
登場する王さまと豪商はそれぞれ十大弟子の阿難尊者と舎利弗尊者、鷲はお釈迦さまの前世の姿です。
鷲は、命を救ってくれた豪商への恩に報いるため、衣服などを与えようとしました。何とかしようと悪気なくそれらを盗んでしまいましたが、最後は、そこに気付いた豪商が返すことで許されました。
盗みを戒めるとともに、恩に報いることの大切さを表しています。
【コラム】鷲の峰「霊鷲山」
仏典に登場する鷲といえば、「鷲の峰」すなわち「霊鷲山」がまず想起されます。ここでの鷲はサンスクリット語でグリドゥラ、パーリ語でギッジャといい、鷲のなかでも「禿鷲」を意味する言葉です。「鷲の峰」と名付けられたのには、二つの理由があり、一つはその頂に禿鷲が多く棲んでいたというもの、もう一つは山頂の形が禿鷲の首から上の部分によく似た形をしているからとされています。この山は、現在のインド・ビハール州中部のラージキルにあります。
浄土三部経の一つ『観無量寿経』は、霊鷲山で説法していたお釈迦さまが、説法を中断して幽閉されていたマガダ国の頻婆娑羅(ビンビサーラ)王の妃・韋提希夫人(ぶにん)のもとに現れて説いたとされています。その他、初期の大乗仏教経典にも、この山がお釈迦さまの説法処としてしばしば登場します。
日本国内でも、この山の名前を模した寺院が多数存在するなど、現在でも世界中の仏教徒から信仰を集める山です。