日々のおつとめ―浄土宗日常勤行式 第10回 「一枚起請文」➀
お念仏の肝要「一枚起請文」
今回から2回に分け、法然上人のご遺言ともいえる「一枚起請文」を解説します。今回は前半部分を中心に説明します。
唐土我朝に、もろもろの智者達の、沙汰し申さるる観念の念にもあらず。また学問をして、念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思いとりて申す外には別の仔細候わず。ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。
意訳
私が説く念仏は、中国や日本の多くの学者が説くような、心をこらして仏さまの姿や極楽のありさまを見ようとする「観念の念仏」ではなく、また学問によりその意味を理解してとなえるものでもありません。浄土への往生のためには、「南無阿弥陀仏ととなえることで必ず往生する」、と確信して念仏すること以外、何も仔細はありません。ただし、念仏をとなえる上で、三心という心の持ち方、四修という態度が必要とされますが、それすらも念仏をとなえるうちに自ずと具わるのです。
【資料】毎日のおつとめ
臨終の二日前
「一枚起請文」は、「宗祖(元祖)法然上人御遺訓」と称されるように、上人がご臨終の二日前に書き遺された、まさに上人最後の教えとなったものです。その名のとおり、一枚の紙にしたためられた、わずか380字ほどの文ですが、そこには浄土宗の教えの根本が簡潔明瞭に示されています。
法然上人には浄土宗の根本聖典となる『選択本願念仏集』(選択集)という著書があります。その16章にわたる長文の『選択集』と、短い「一枚起請文」の関係を、江戸時代の高僧・義山は、「広くすれば選択集、縮むれば一枚起請也」と表現しています。
つまり「一枚起請文」には、短くとも浄土宗の教えが余す所なくおさめられているということです。仮名まじりの美しい和文体で覚えやすい文章です。
冒頭に、「一枚起請文」は法然上人がご臨終の二日前に遺されたと書きましたが、それは弟子の勢観房源智の「上人の教えを滅後の形見として頂きたいのです」との願いによって、書き与えられたものでした。
源智は常に上人のそばにいて、身のまわりのお世話をしながら、直接教えを受けた弟子の一人です。上人のご臨終が近いことを案じての願いだったのでしょう。
源智は、その「一枚起請文」を肌身離さず持ち歩き、上人滅後より一層その志を深く胸に刻みました。そしてお念仏を広めることに励み、ご入滅された京都・東山の地に知恩院を建立して、法然上人を開山第一世として仰ぎました。源智は第二世に列せられています。
〝観〞から〝称〞へ
さて、法然上人が浄土宗を開くまで、 「念仏」といえば、阿弥陀仏や極楽の様相を心の中に思い描く「観念の念仏」を示すものであり、念仏の心を理解するということが普通でした。
しかし法然上人が主張したのは、 「私の説く念仏は、〝極楽に生まれることを願い南無阿弥陀仏と一心にとなえるものは、必ず極楽浄土に生まれさせる〞という阿弥陀仏の本願がにもとづく念仏です」ということ。すなわち、声に出してとなえる「称名念仏」でした。
これは上人が生涯を通して説き貫いたことであり、「起請文」の「別の仔細候わず」との言葉でもわかるように、この称名念仏以外には何も付け足すことはありません、と明言されているものです。
自然に具わる
「三心四修と申す…こもり候うなり」とありますが、三つの心、四つの修めとは何かをみていきましょう。
まず三心とは、念仏者の心構えで、
①至誠心(嘘や偽りのない真実の心)
②深心(自らのいたらなさをよくわきまえ、阿弥陀仏の救いを深く信ずる心)
③回向発願心(お念仏をはじめとする善根を往生のためにふりむける心)の三つです。
次に四修とは念仏者としての態度、
①恭敬修(ひたすらに阿弥陀さまを敬うこと)
②無余修(お念仏以外は何も混じえないこと)
③無間修(お念仏を絶え間なくとなえること)
④長時修(お念仏を①②③の姿勢で臨終まで続けること)の四つです。
これらはお念仏をとなえる者が必ず身につけなければならないとされているものです。
しかし法然上人は、このような、全く動じないほど固くお念仏による往生を信じるという心構えや態度でさえも、お念仏をとなえるうちに決定、つまり、自然に具そなわる、といわれているのです。
―次回は後半部を解説します。
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