浄土宗新聞

近松門左衛門 300回忌 滋賀・金龍院所蔵 くつはきの阿弥陀如来が里帰り出開帳 11月22日 福井・鯖江市

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法要の導師を勤めた静永住職は、表白(趣旨)で、近松の遺徳を讃え、くつはきの阿弥陀如来の里帰り出開帳を近松像に報告した。

 滋賀県甲賀市の金龍院(静永秀明住職)は11月22日、歌舞伎・浄瑠璃作者の近松門左衛門300回忌に併せ、所蔵する近松ゆかりの仏像「くつはきの阿弥陀如来」を、近松生誕の地である福井県鯖江市の近松会館で出開帳(本尊を別の場所で開帳すること)した。
 本年は近松生誕370年と同300回忌にあたることから、金龍院と鯖江市の近松の里づくり事業推進会議が主催となり企画、命日に回忌法要と、「くつはきの阿弥陀如来」の出開帳を開催した。

くつはきの阿弥陀如来像。像高約73センチ。元禄年間に制作された


 「くつはきの阿弥陀如来」は、上方歌舞伎創設者の一人として知られる初代・坂田藤十郎のために近松が書いた歌舞伎作品『傾城仏の原』に登場する。もとは、作品の舞台となった同県坂井市三国の月窓寺にあったが、長年行方不明になっていた。
 同像は、長年金龍院にて安置されていたが、平成25年に同院土蔵の修復工事に際して同像に関する古文書が発見されたことから、近松研究の第一人者である三好修一郎福井大学名誉教授に調査を依頼。同院や月窓寺の古文書、同像の造立年代を計測した結果、月窓寺にあったものと同一と、昨年認定された。
 古文書の記載によると同像は、京都三条で行われた「傾城仏の原」の上演に併せて、月窓寺から御開帳されたが、何らかの理由で他者の手にわたり、巡り巡って金龍院に安置されたという。
 当日は、近松座像の前で法要が営まれ、佐々木勝久鯖江市長や、四代目・坂田藤十郎の孫で歌舞伎役者の中村壱太郎氏、世界各国で近松作品をフラメンコで上演する舞踊家の佐藤浩希氏、三好名誉教授ら関係者約50名が参列。近松を偲ぶとともに約300年ぶりに故郷・福井に里帰りした同像を歓待した。
 法要後、会館で静永住職と三好名誉教授によるパネルディスカッションが行われ、これまでの調査結果から「くつはきの阿弥陀如来」について解説した。
 静永住職は「不思議な縁が引き合わさって、尊像の出開帳と近松300回忌の法要を営めたことを、大変嬉しく思います」と感慨深げに語った。