浄土宗新聞

心健やかに 新たな一年にむけて 節分

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令和5年総本山知恩院の追儺式の様子。三門の前では「福は内」のかけ声とともに豆がまかれた(写真提供=総本山知恩院)

 「節分」でお馴染みの2月3日。全国各地で「豆まき」をはじめとするさまざまな厄払いの行事が行われます。立春・立夏・立秋・立冬の前日は、各季節の始まりの日とされ、〝季節を分ける〟ことから「節分」と呼ばれます。また、季節の変わり目には疫病を流行らせる鬼が生じると信じられていたことから、節分にて鬼払いを行う風習が生まれたとされます。
 鬼を払う方法は、中国の儺(疫鬼)を追い払う儀式「追儺」が由来となり、日本へと伝わりました。「豆まき」も中国の鬼払いの一つですが、日本では「豆」を「魔目(まめ)」にぶつけることで「魔滅」させるという言霊の信仰から盛んに行われてきたとされています。
 また、豆まきで撒かれた豆を年齢の数だけ食べる習慣には、厄払いとともに、次の年も健康で幸せに過ごせるようにとの願いを込める意味があるとされます。
 総本山知恩院(京都市東山区)で行われる「追儺式」は、年男と年女が、知恩院七不思議として知られる「大しゃくし」を持って諸堂を回り、豆をまいて厄除けをします。しゃくしは物を「すくう」道具であることから、阿弥陀さまの「救い」を意味し、あらゆる人々を救い取る縁起物として掲げられます。また、鬼であっても救われてほしいとの願いから「鬼は外」とは言わず、「福は内」のみを発声するのも知恩院追儺式の大きな特徴です。
 仏教では、人間の心の奥底にある「煩悩」が怒りや悲しみなどの苦しみを生み出していると説きます。煩悩に動かされることで、時折私たちは仏教で説かれる「餓鬼」のように欲深い姿となることもあります。仏教における「鬼」は、私たちと無縁な存在ではなく、むしろ私たち自身が鬼となる可能性を秘めていると考えるのです。
 節分とは、鬼を払うことで幸運を呼び込む行事ですが、私たち自身の心の中に潜む悪しき心を払うことで見えるようになる幸福もあるはずです。皆さまも、豆まきを行う際には、厄払いと共に、自身の心の鬼を払う機会としてはいかがでしょうか。