浄土宗新聞

連載 仏教説話に見られる植物 第3回 ゴマ

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イラスト 木谷佳子

お釈迦さまの前世を描いた物語『ジャータカ』をはじめ、仏教経典には、数多くの「植物」が登場します。この連載では「仏教説話に見られる植物」と題して、一つの植物を、その物語の情景とともに、紐解いていきます。
 第3回目は、小さな一粒に豊かな風味と滋養を秘め、古来、心身を支える「薬」としても重宝されてきた「ゴマ」が登場するお話です。

古典や神話にも登場する植物

ゴマは、インドの古典文学や神話にもたびたび登場し、霊的・宗教的な価値を持つ特別な植物として描かれてきました。
 特にヒンドゥー教では、ゴマは清めと供養を象徴する存在とされ、祖先供養の儀式では、悪を払い、祖先の魂を慰めるとして、黒いゴマが、聖なる水とともにお供えられます。
 今回は、『ジャータカ』にあるゴマにまつわるお話を紹介します。

一 握りのゴマ

昔、ある王さまが、16歳になった王子に学芸を修めさせるため、遠くの都へと送り出しました。王子は慣れない独り旅の末に、名高い師のもとへ辿り着き、厳しい修学の日々を送り始めます。
 ある日、師が弟子たちを連れて川へ水浴びに出かけた時のことです。道端で老婆が筵にゴマを広げて干していました。その芳醇な香りに誘われ、王子は老婆の隙を見て、思わず一握りのゴマを口に押し込んでしまいました。三日目にとうとう老婆に見とがめられた王子は、師の前へと引き出されました。
 老婆は「三日も盗みが続くのは、先生の教えが悪いのではないか」と激しく詰め寄ります。師は「盗んだのは誰だ」と弟子たちを見渡して言いました。「王子は一歩前へ出て、「申しわけございません。私が盗みました」と深々と頭を下げました。師は思いがけない犯人に驚きつつも、その背を竹の棒で三度、手加減なしに激しく打ち据えました。
 誇り高い王子にとって、衆人の前で打たれたことは耐えがたい屈辱で、その心には師への深い恨みが芽生えました。
 数年後、王位に就いた王子は、復讐のために使者を送って、師を都へと呼び寄せました。再会した師の姿を見るなり当時の怒りが再燃し、怒りに震える王は詩を唱えて問い詰めました。

ほんのわずかなゴマのため
背中を打たれた あの苦痛
心に残る 深い傷
忘れられない この恨み
生きてることを 楽しまず
あなたはどうして ここに来た
三度打たれた 報いには
命のないのを お忘れか

これを聞いた師も、穏やかな声で詩を返しました。

卑しい所業を むちで打つ
それは教える ためであり
恨みを受ける ためではない
賢者はそれを 知っている

さらに、「大王よ、もしあの時私があなたを打たねば、あなたは盗みの癖を知らず罪人として命を落としていたでしょう。今のあなたの立派な姿こそがあのむちの成果なのです」と、諭すように言いました。
 この言葉に、王は言葉を失うほどの衝撃を受けました。自分を打ったのは恨みではなく、将来を案じた師の「深い慈しみ」であったと、初めて悟ったのです。
 王は自らの愚かさを恥じて師に謝罪し、師を大臣として迎え入れました。その後、王は師の教えを生涯守り続け、徳をもって国を治めた末に、天界へと生まれ変わったといいます。

「小さな悪」の 恐ろしさ

お釈迦さまは、王子として生まれさとりを得るまでに、生まれ変わりをくり返していました。
 このお話は、お釈迦さまがジェータ林(祇園精舎)にいた時、他者に利益を与える利行について語ったもので、王子が修行僧、師はお釈迦さまの前世の姿です。
 この物語は、「どんなに小さな悪事であっても、それが自分の人格を作る第一歩になる」という、因果応報の厳しさを表しています。